材料をトリアジンジチオール溶液に浸漬すると,表面にジチオールトリアジニル基が結合する(図3)。これが接着剤の役割を果たすのだ。このように書いてしまえば,一見簡単に思えるが,実際にはもちろん多少のコツが要る。例えば,被着体表面を十分に洗浄した後には,コロナ放電やフェントン液を利用し酸化処理を施す。被着体表面に,ジチオールトリアジニル基との反応性に優れたOH基を生成させるためだ。そして,森教授の「接着の統一理論」に基づいて,被着体同士を反応する距離まで近づけるのである。

図3 ジチオールトリアジニル基を含む固体表面

TESで「一発完動」

 森教授の最終的な目標は,何でもくっつける分子接着剤を量産し販売することだ。東北の新しい地場産業に育成し,岩手県に量産工場を建設して多くの雇用と利益を創出したい,と考えておられる。

図4 TES分子接着剤

 製品化第1号の最有力候補は,森教授自身が分子設計した「TES(トリエトキシシリルプロピルアミノ-1,3,5-トリアジン-2,4-ジチオール)」。正式には「アルコキシシリルプロピルアミノトリアジンジチオール」といい,OH基と反応するアルコキシシリル基と,種々の材料と反応する可能性のあるチオール基を持っている。このTESはいわば,種々の材料にとっての「共通言語」のようなもの。どんなに異なる材料でも分子結合によりくっつけてしまう力がある(図4)。

人間もくっつける

 「一発完動」。森教授が挙げる,21世紀のものづくりに関するキーワードだ。製品を組み立てるときに,やれ前処理がどうの,やれ配線がどうの,やれ部品の組み付けがどうの,なんてやってはいけない。前処理も配線も部品も,一発で形成する。加工も組み立ても一度の工程で済ませてしまうのだ。新しい接着技術を使って。それこそが一発完動だ。

図5 森邦夫教授
若々しい物言いは,歯切れも抜群。

 大学の研究で地場産業を興す―。教授の夢は壮大で郷土愛に満ちている。聞く者は,まさに「一発感動」。熱く語る教授に,私はオーラを感じるほどだった(図5)。

 そんな私だが,森教授の話の中で一つだけふに落ちないことがあったので,最後にそれを聞いてみた。

「ところで先生,『いつかはノーベル賞をさらう』『いつも飲んで騒いでいる』のINSですけど,本当の意味を教えてください」
「あ,それねぇ,実は『岩手ネットワークシステム』の略なんですよ」

 岩手県内における科学技術や研究開発にかかわる産官学連携の場,人々の交流の場として,次世代を視野に産業振興を図る支援組織,それがINSの真意だったのだ。さすが,ノーベル賞を狙うほどの方。しゃれが利いている。

 こうして約束の時間は瞬く間に過ぎていった。私は岩手大学を後にし,思った。森教授は人と人をくっつける,人間接着剤である,と(図6)。

図6 森研究室のスタッフ
企業や海外から来た方もいる。