(前回から続く)

「FeliCaの仕様を,電池内蔵型から非内蔵型に変更する」

 1994年4月,ソニーでFeliCaの事業化プロジェクトを率いる伊賀章が下した決断に,開発陣から悲鳴が上がったのは無理もなかった。日下部進をはじめとする10人ほどの技術者は,電池の搭載を前提とした非接触ICカードの開発を,1992年末から1年以上にわたり続けていた。その努力の大半が,この決断で水泡に帰す。

 何で,今になって――。これが,開発陣の偽らざる気持ちだった。

決断を促したのは顧客とライバル

 伊賀とて,迷いがなかったわけではない。今までの成果の多くを無駄にする決定を下すことは,プロジェクト・リーダーとして断腸の思いだった。

 伊賀の背を押したのは,顧客の要求だった。自動改札システムを提供する有力候補だったオーストラリアERG Transit Systems社,そして自動改札システムの運営主体である香港Creative Star Ltd.が,いずれも電池の内蔵に難色を示した。

 Creative Star社の技術責任者であるBrian Chambersは,来日してソニーを訪れた際,「内蔵電池があると,カードが有害なゴミになるのでは?」と伊賀に問いかけた。Chambersと旧知の仲だったJR東日本の三木彬生も,電池の非内蔵に賛成だった。JR東日本が将来,自動改札機に非接触ICカードを導入するならば,電池切れの心配がない非内蔵型が理想的だった。

 もう一つ,伊賀に決断を促す要因があった。強力なライバルの出現である。オーストリアMikron社。同社の非接触ICカードは,CPUコアがないため機能は限られるが,低コストと高い伝送速度が強みだった。このカードは,電池を内蔵していなかった。

 ソニーにとって幸運なことに,ICカード技術の入札は1994年6月の改札システムの入札とは分離され,一年後の1995年6月に先送りになっていた。まだ間に合う。伊賀は過去の成果を捨て,未来を取った。

カードの電源を,内蔵電池から電磁誘導による供給に切り替えるため,FeliCaの仕様を根本から変えた。搬送波を13.56MHzに変え,メモリをEEPROM,CPUコアを専用コアに切り替えた。

自分で設計すればいい

 ソニーの開発チームは,電池を取り去ったFeliCaの仕様を検討した。

 電池がないので,メモリに揮発性のSRAMは使えない。EEPROMなどの不揮発性メモリが必要だ。論理回路では,消費電力が極力小さいCPUコアや暗号化回路などが要る。搬送波の周波数は,法律で電力伝送が許される13.56MHzが望ましい…。

 この仕様には一つ,重大な問題があった。当時,ソニーの半導体部門には不揮発性メモリをチップに集積する技術がなかったのだ。今から開発するのでは到底間に合わない。チップの製造を他社に委託するしかなかった。

 日下部は国内の半導体メーカーを巡り,製造の委託を打診した。

「うーん,ウチはICカードに適したCPUコアは持ってないなあ…」