(前回から続く)
香港の自動改札システムの運営会社が示した非接触ICカードの要求仕様は,日本の鉄道総合技術研究所が示していた仕様より格段に難易度が高かった。

 Creative Star社の要求仕様は, JRグループの鉄道総合技術研究所が以前に提示したものとは段違いの難しさだった。この要求を満たすには,複雑な命令を実行できるマイクロコントローラと,効率的なファイル・システムを備えたOSを用意する必要がある。これに対して,今まで鉄道総研と共同開発していたICカードは,言ってみれば「アンテナと検波ダイオードを付けたSRAM」でしかない。処理能力が赤ん坊と大人ほども違う。

 「まあ,何とかなるさ」。伊賀は日下部に声を掛けた。「納入まであと2年もある。一つ一つ課題を解決しよう」。

 好材料もあった。香港の仕様では,保証すべき通信距離は 12cmほど。鉄道総研が求めていた「ポケットにICカードを入れた状態で改札を通過する」のではなく,「読み取り面にICカードをかざして通過する」ことを想定しているらしい。これなら,32MHzの微弱無線が使える。

全面的にバックアップします

 香港の情報を,ほぼ同じ時期に三菱商事から聞き付けた人物がいた。かつて鉄道総研でソニーとICカードを共同開発し,当時JR東日本に在籍していた三木彬生である。三木は,思い立って伊賀に電話をかけた。

 「香港の件,JR東日本も全面的にバックアップします。ソニーの技術を香港で生かしましょう」

 伊賀は驚いた。当分は非接触ICカードを導入しないであろうJR東日本が,何で我々をここまで支援してくれるのか…。

JR東日本における非接触ICカードの技術開発責任者だった三木彬生氏。現在は神奈川臨海鉄道 常務取締役を務める。(写真:中村 宏)

 三木には三木の計算があった。当時JR東日本では,2000年ごろに控えた自動改札機の更新に向け,非接触ICカードの開発プロジェクトが進行していたのである。プロジェクトのリーダーは,後に「Suica」導入を主導する椎橋章夫。三木は,非接触ICカードの技術開発を担当していた。1年後の1994年春に,まず鉄道総研の仕様に沿ったICカードで大規模な実証実験に取り組む予定だった。

 だが,鉄道総研の仕様のままではとても実用化できないことを,誰よりも三木が知っていた。実用に堪えるICカードを生み出すには,仕様の見直しや技術革新が必要不可欠だった。三木は,有望な技術を持つソニーに香港のプロジェクトに参加してもらうことで,ICカード技術の向上を促したかったのである。

 締め切りが目前に迫る香港での改札システムの入札に備え,三木は JR東日本の磁気改札システムを手掛けた会社に召集をかけた。改札機の設計やシステム開発を手掛けたグループ各社に加え,改札機の製造を担う東芝が応じた。これにソニーと三菱商事を合わせ,香港での契約を勝ち取るための全日本チームが発足した。

伊賀,海外を走り回る

 準備は整った。実際に入札を実施するのは,応募締め切りから約1年後の1994年。システムの納入は1995年以降となる。開発陣に残された時間はあと2年。日下部は,32MHzの無線周波数を使った非接触ICカードの設計に取り掛かった。