(前回から続く)
(写真:中村宏)

 当時,鉄道各社は磁気を使った自動改札機の利用を始めていた。関西の私鉄などが先駆け,JR東日本も1990年から順次導入した。ただし,それらは従来の切符や定期券に磁気データを加えたものが前提で,プリペイド式の乗車券はまだ例がなかった。進取の気性に富んだJR東日本は,プリペイド式の実用化で業界一番乗りを目指した。それどころか,非接触ICカードも併せて導入するはずだった。鉄道総研は,磁気改札機に非接触ICカードのリーダー/ライターを追加する計画を練っていた。このシナリオはもろくも崩れ去った。

 伊賀はすぐさま鉄道総研に乗り込み,三木に噛み付いた。

 「これで少なくとも10年は,JR東日本が非接触ICカードを採用する見込みはなくなった。事業化できない開発を継続するのは難しい」

 三木も苦しい立場にいた。実はJR東日本は,三木にこう要請していた。「現時点でICカードは信頼性に不安があり,完成はまだ先だという。だが,いつか磁気カードはICカードに置き換わる。ICカードの研究は継続してほしい」。

「FeliCa」開発を主導した伊賀章氏。現在は,ソニー コーポレート・エグゼクティブ SVP,情報技術研究所 所長を務める。(写真:山西英二)

 このとき三木が「いや,あと2年あればモノになります」とでも主張していれば,歴史は変わったのかもしれない。しかし,社会の公器を預かるJRグループで,確固たる裏付けのない発言が許されるはずはなかった。

 「何とか,開発は続けてもらえませんか。将来,磁気カードがICカードに置き換わる日はきっと来ます」。

 三木の説得を受けた伊賀は,共同開発の継続をかろうじて約束した。けれども開発体制の縮小は避けられなかった。既に実用化した入退出管理システムは,研究所から事業部へ技術の移管が進んでいた。次なる用途が見えない以上,研究開発に多くの人数は割けない。チームのメンバーは一人減り,二人去った。中心にいた日下部自身,徐々にICカードから遠ざかった。日下部は,あきらめたわけではない。他の開発で確保した予算の一部を流用し,鉄道総研とともに細々と ICチップの改良を続けた。