「ピピッ」「シャリーン」――ICカードをかざして改札機を通過したり,お金を支払ったり…。JRグループの「Suica」や「ICOCA」,首都圏の鉄道23事業者とバス31事業者が利用する「PASMO」。ビットワレットが運営する「Edy」やセブン-イレブンの店舗で使える「nanaco」。電子乗車券や電子マネーに使う非接触ICカードは,今や日常生活に欠かせないものになった。これらのカードに埋め込んであるのが,ソニーの非接触ICカード技術「FeliCa」に対応したICチップである。
非接触ICカード「FeliCa」の開発
目次
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最終回:「13度の傾き」と「束ねた鍵」がFeliCaの成功を導く(下)
準備は万端のはずだった。いくつもあった課題には,この時までに手を打った。中でも開発陣を苦労させたのが,チップの強度である。香港向けに開発したチップは約4mm角と大きい。カードを曲げたり衝撃を与えたりするとチップが割れてしまう。試行錯誤を重ねた結果,行き着いたのが,シリコーンゴムでチップを包み込む方…
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第9回:「13度の傾き」と「束ねた鍵」がFeliCaの成功を導く(上)
1995年末,JR東日本の会議室は重苦しい空気に包まれていた。同社は1995年4月から10月まで,自動改札機の第二次フィールド試験を実施した。非接触ICカード導入の可否を決める重要なテストである。結果は芳しくなかった。ゲートが誤って閉じる「通過阻害率」は数%。磁気カード式改札機の4倍と高い。
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第8回:目指すは電池のないコンピュータ,CPUもOSも自分で作る(下)
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第7回:目指すは電池のないコンピュータ,CPUもOSも自分で作る(上)
「FeliCaの仕様を,電池内蔵型から非内蔵型に変更する」。1994年4月,ソニーでFeliCaの事業化プロジェクトを率いる伊賀章が下した決断に,開発陣から悲鳴が上がったのは無理もなかった。日下部進をはじめとする10人ほどの技術者は,電池の搭載を前提とした非接触ICカードの開発を,1992年末から1…
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第6回:蘇生したプロジェクト,「香港」に賭ける(下)
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第5回:蘇生したプロジェクト,「香港」に賭ける(上)
1992年8月,非接触ICカードの研究開発プロジェクトは,ソニー社内でお蔵入りになった。最後の一人になるまで研究を続けていた日下部進にも,もはや過去を振り返る余裕はなかった。新たに与えられた研究テーマ,無線LANの高速化に没頭する毎日だった。
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第4回:「改札機」と「入退出」,両面作戦に挑む(下)
当時,鉄道各社は磁気を使った自動改札機の利用を始めていた。関西の私鉄などが先駆け,JR東日本も1990年から順次導入した。ただし,それらは従来の切符や定期券に磁気データを加えたものが前提で,プリペイド式の乗車券はまだ例がなかった。進取の気性に富んだJR東日本は,プリペイド式の実用化で業界一番乗りを…
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第3回:「改札機」と「入退出」,両面作戦に挑む(上)
ソニーの開発チームは,最高のパートナーに巡り合ったと言っていい。1988年11月。非接触ICカードを鉄道の自動改札機に導入することを目指し,ソニーは鉄道総合技術研究所と共同開発の契約を交わした。半年先の 1989年春をめどに,実験用のシステムを鉄道総研に納入する。研究所同士の取り決めとはいえ,将来性…
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第2回:日本を席巻した非接触ICカード,開発のきっかけは「宅配便」(下)
FeliCa開発のもう一人の立役者である日下部進は,そのころ伊賀と同じく厚木の情報処理研究所の所属だった。伊賀が6階,日下部が3階にいた。日下部は1981年にソニーに入社し, FA(factory automation)向け画像認識技術や,リアルタイムOSなどの開発を手掛けた。その後情報処理研究所…
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第1回:日本を席巻した非接触ICカード,開発のきっかけは「宅配便」(上)
「ピピッ」「シャリーン」――ICカードをかざして改札機を通過したり,お金を支払ったり…。JRグループの「Suica」や「ICOCA」,首都圏の鉄道23事業者とバス31事業者が利用する「PASMO」。ビットワレットが運営する「Edy」やセブン-イレブンの店舗で使える「nanaco」。電子乗車券や電子マ…