COLLEGE 製造業の“本当”を探求
 

第1回:2人が出会わなければ…

白倉 資大
2009/08/07 13:00
出典:日経エレクトロニクス、2002年8月26日号 、pp.203-207 (記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)
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 携帯電話機で手軽にメールをやり取りしたり,ニュースや天気を見たり,ゲームや音楽をダウンロードして楽しんだり――。今や,日本国内だけで7500万人以上,中国では1億人を超える人々が,携帯電話機でインターネットを利用している。携帯電話のインターネット・サービスを世界に先駆けて事業化したのが,NTTドコモの「iモード」である。1999年2月のサービス開始と同時に,待ち受け画像や着信メロディなどのコンテンツ・サービスが立ち上がった。サービス開始直後は低調が続いたものの,対応機種の増加と共に契約数はウナギ登りに増えていく。普及は予想をはるかに超えるペースで進み,1990年代の停滞した日本経済の中で,ひときわまばゆい光彩を放つ20世紀最後の大ヒットとなった。

 このiモードを事業化にこぎ着けるまでの開発物語を,日経エレクトロニクスが2002~2003年に掲載している。本連載では当時の記事を再掲載する。(Tech-On!)


 「iモード」開発の経緯を綴った自著を,松永真理はこう書き出している。「いつのころからか,iモードの生みの親と呼ばれるようになった。そのたびに,首を傾げながら『私ひとりが生んだわけではありませんから』と訂正を入れる」1)

 「とらばーゆ」の編集長だった松永真理。ベンチャー企業の副社長から転じた夏野剛。そして,異色の人材を受け入れ,1つにまとめた榎啓一。 iモードを成功に導いた立役者として華々しく雑誌のグラビアを飾った人々がいる。

 ユニークなビジネス・モデルを創造し,粒ぞろいのコンテンツを集めた彼らの功績は絶大だ。しかし,松永が指摘するように,彼らの奮闘は,物語の一面でしかない。目覚ましい成功の裏に,独創的なアイデアと型破りな人間性で困難に打ち勝った技術者の存在があったことは意外と知られていない。

 まだiモードという名称も,サービスの枠組みさえもなかったころ,その原型となる技術を開発していたベンチャー企業の技術者がいた。このベンチャー企業の先進性を見抜いたのがNTTドコモの1人の技術者だった。この2人の出会いがなければ今のiモードは存在しなかった。

鎌田富久氏
ACCESS 取締役副社長 研究開発担当(当時)の鎌田富久氏
(写真:栗原克己)

1997年6月25日

「うわぁ」

 男は,タクシーから降りた瞬間,むっとする熱気に思わず声を漏らした。1997年6月25日の午後1時過ぎ。東京都心の気温は30℃を超えていた。じっとりと暑苦しいこの日が,iモードの将来を方向付ける決定的な日になった。

「今日の相手だけは何とかして落としたい。大物を釣り上げてみせる」

 男はこう自分に言い聞かせながら細身の背筋をピンと伸ばした。同僚とともに歩を進める先には,ずんぐりしたビルが周囲の建物を圧する威容を見せている。東京・虎ノ門の新日鉱ビル。がらんと広いホールにあるNTTドコモ本社の受付で,男は来意を告げ,2階の会議室へと急いだ。

 同じ時,ビルの中ではもう一人の男が事務机に向かっていた。机の上には山と積まれた書類の束。

「そろそろ会議,始まりますよ」
 部下に声を掛けられ,男は腕時計に目をやる。
「分かった。先に行っててくれ」
 ぶっきらぼうに答える男に,部下はその場を立ち去りながらこう言った。
「企画の人間は10人以上出席するみたいですよ。ウチは僕らだけでいいんですかね」

 企画サイドからは有望な技術のプレゼンテーションがあると聞かされている。それなりの待遇で応えなくてよいのかという部下の気遣いだ。

 男は,眼鏡の奥から鋭い視線で部下をにらみつける。
「どこの誰とも知れない人間に,全員が雁首そろえて会いに行くほどヒマじゃないだろ」
 部下を追い払い,不機嫌そうに書類を片付けた。

 男の機嫌が悪いのには理由があった。外部のコンサルタントが持ち込んでくる企画の会議がこのごろ急に増えていたからだ。「PDAと携帯電話機を合体してインターネット・サービスを実現」。こういったたぐいの話に正直なところうんざりしていた。「どいつもこいつもすぐPDAを開発したがる。どうせ今日の話も同じだろう」。そう考えると余計,会議に出ることが億劫おっくうに思えてきた。

 「普通の携帯電話機がネット端末にならないとダメだ」。それが男のかねてからの持論だった。男には苦い経験があった。2年前にスイスのジュネーブで催された「Telecom95」でNTTドコモはPDA型の携帯電話機を出展した。来場者の評判は芳しくなく,結局製品にならずに消えた。その開発責任者がこの男だった。

 机上の手帳を手にすると,男は苛立ちを隠すように両頬をたたき,小走りで会議室に向かった。

「この人が技術のキーマンか」

 細身の男の一団はビルの2階でエレベーターを降り,あらかじめ告げられていた会議室を目指した。建物の一番奥に位置する大きな細長い部屋だ。

永田清人氏
NTTドコモ 移動機技術部 主幹技師(当時)の永田清人氏

 ドアをノックして中に入ると,既に部屋は10数名の人間で混み合っている。席に座って腕時計に目を走らせる。ちょうど約束の時間の午後1時30分。もうすべてのメンバーがそろったころだろうと踏んで,話を切り出そうとした時だった。

 突然,1人の男が扉を開けて足早に駆け込んで来た。最前の苛立ちの表情は,きれいさっぱりぬぐい去られている。男が部屋に入るなり,同席者は立ち上がり波が引くように道を譲った。「きっと,この人がキーマンだな」。細身の男はこう直感した。名刺を差し出しながらあいさつする。「ACCESSの鎌田と申します」。手渡した名刺にこうある。「ACCESS 取締役副社長 研究開発担当 鎌田富久」。

 もう一人の男は不敵な笑顔で名刺を取り出した。「NTTドコモ 移動機技術部 主幹技師 永田清人」。

 iモードのひな型を築き上げた2人が初めて顔を合わせた瞬間だった。

「うさんくさいな」

 会議の出席者全員に「小型情報機器向け Compact NetFront Browser」と題する鎌田のプレゼンテーション資料が配られた。全部で3ページのA4判のモノクロ資料である。

 ページをめくると「HTMLを表示するブラウザ機能を非常に小さなメモリ空間で実現します…」といううたい文句が躍る。一瞥いちべつした永田は心の中でつぶやく。「ケータイの画面にHTMLを表示するだと。随分うさんくさいのが来たな」。

 鎌田は簡単なあいさつを済ませると,淡々とプレゼンテーションを始めた。

「例えば,モノクロ画面で320ドット×240ドットとした場合,私どものWWWブラウザのコード領域は180Kバイト程度になります」

 プレゼンテーションに慣れた鎌田の物腰は柔らかく,歯切れもいい。しかし,鎌田の説明が進行するにつれて,永田の顔はどんどん険しくなっていく。じっと腕を組み,口を真一文字に結んで資料の文字を追う。

 永田はうずうずしていた。「そんなに小さなメモリにブラウザが載るわけがない」と今にも口走りそうだった。鎌田の提示したメモリ容量は永田の常識を1ケタ下回っていたのである。

phone to:スキーム

 鎌田の弁舌はどんどん滑らかになっていく。

「今回は携帯電話機への搭載ということですので,特別な拡張機能も用意しました。『phone to:スキーム』といいます。『phone to:03―XXXX―XXXX』とHTMLを記述すれば,いちいちダイヤル・ボタンを押さなくても,選択ボタンを押すだけで電話をかけられるようになります」

 同席者から感嘆の声が漏れる。しかし永田の耳には入らない。そもそも,初めて会って「ウチの製品はこんなに良いモノなんですよ」と売り込む輩にろくな人間はいない。そう永田は常々思っていた。ましてやACCESSなんて,聞いたこともないベンチャー企業だ。

 当時,家電業界ではACCESSは既に名を知られた会社だった。組み込み機器向けのWWWブラウザ「NetFront」を販売し,インターネット・テレビやワープロ,PDAなどへの採用実績があった。一部ではインターネット家電の世界を実現する急先鋒の技術として高い評価を獲得していた。

 当然,鎌田はこうした実績に触れながら説明を続けた。しかし,それが永田の心を動かすことはなかった。「他の機器で実績があったとしても,利用できるハードウエア資源が限られた携帯電話は別だ」という確固たる信念があった。鎌田が説明する夢のような技術仕様を,永田はにわかには信じられなかった。

「本当に動くんですか?」

「私からの説明は以上です。何かご質問はありますか」

 鎌田のプレゼンテーションが終わり,一同を沈黙が襲う。まだ永田は資料から目を離さない。一言一句を徹底的に精査していた。

 NTTドコモ側の企画担当者が間を持たせるために何か言おうとした瞬間,突然堰せきを切ったように永田の口から質問があふれ出した。

「どんなマイクロプロセサだとこれが動くんですか」
「…例えばx86系での動作を確認しています。他のプロセサへの移植もそれほど難しくないと考えています」

 意表を突かれた鎌田を前に,永田は本領を発揮し始める。

「鎌田さんがおっしゃる通り, NetFrontがテレビやワープロで動いていることは分かりました。でも,携帯電話にはそんなに大きなメモリは積めないんですよ。本当に動くんですか?」

 もちろん鎌田は「動く」と答えるに決まっている。それでも永田は,この問いを口に出さずにはいられなかった。

 永田は根っからのソフト屋を自認している。プログラムを小さく作るとか,メモリが足りないといった話は感覚的に分かる。どんなに巧妙に飾り立てても,必ずウソは見破ってみせる。そんな気概が言葉の端々にみなぎった。

 鎌田は一歩も譲らない。

「はい,動きます。実際,私どもの会社では,NetFrontを小型化した製品の試作版が完成しつつあります。携帯電話での利用にも最適です」

「こんな人がNTTにいたのか」

 平然を装いながらも,鎌田は内心では永田が自分の話を信用していないことを十二分に感じていた。

 鎌田が驚いたのは,永田から飛び出す質問がどれも鋭くポイントを突いていたことだ。HTMLのデータを圧縮するか否か,暗号化の方式,サーバ側に持たせる機能,クライアント側との処理の切り分けなど,これまで企画担当者との打ち合わせでは出てこなかった手ごわい質問が矢のように飛ぶ。鎌田は何食わぬ顔で受け答えしていたが,実は永田の質問をメモするのに必死だった。

「この人はできる。この人を説得できなければ,一歩も先には進めない」

 鎌田は長期戦を覚悟した。

「うーん…。言葉で説明されていることはよく分かるんですが,どうしてもイメージとしてピンとこないんですよね」

 こう言って黙った永田は,鎌田のことを不思議な人物だと感じ始めていた。「この人の自信はどこから来るんだろう。まるで技術が完成しているかのような話しぶりだ。もしかしたら本当に動くのか。まさか。そんなはずは絶対にない」。

 永田は鎌田を徹底的に問い詰める作戦に出た。

メモ

「例えばね,Webサイトにアクセスするということは,閲覧するだけじゃなくて,文字を入力する必要も出てきますよね。今の携帯電話機では電話帳に名前が入れば十分ですから,パソコンみたいに大容量の辞書が載っていません。ブラウザを搭載するなら,辞書データだけで200Kから300Kバイトくらいにはなる。さらに仮名漢字変換の部分が40Kバイトか50Kバイトは必要になるでしょう。軽いとおっしゃるNetFrontですが,実装するためにはもっと軽くする必要が出てきます。それが本当に可能ですか」

「それともう一つ,ブラウザのサイズをROMとRAMに分けてもっと詳細に教えてください。どの機能にどれくらいメモリ領域が必要なのかが分からないと,何とも言えませんから」

 永田は押し続けた。

 鎌田はこれまで体験したことのない異常な熱気を感じていた。外気の暑さとは違う,人間だけが発する熱がひしひしと身に迫ってくる。「こんな人がNTTにいたなんて。この人に分かってもらうためには,実際に動いているモノを見せるしかないんじゃないか」。鎌田は永田の威圧感に耐え切れなくなってきた。

「それでは,次回のミーティングで,動いているものを実際にお見せしながら再度提案させてください」
 精一杯の力で鎌田はこう切り出した。
「それがいいですね」
 永田も賛同した。

 会議室に張り詰めていた空気が一気に開放され,2人のソフトウエア技術者のプライドを懸けた闘いはひとまず中断した。

 次のミーティングは1997年7月22日の午後1時からと決まった。

リベンジに懸ける

 「あの会議の日,鎌田はNTTドコモから帰ってくると,随分悔しがっていた」と,ACCESS 代表取締役社長の荒川亨は振り返る。

 永田と会った日の晩,早くも鎌田は会社の自室にこもって次回のプレゼンテーションの準備に取り組んだ。鎌田の部屋のあちらこちらには試作ボードや製品のモックアップが無造作に並んでいる。これまで,NetFrontを載せてきたテレビ受像機,ワープロ,PDAといったさまざまな機器の名残だ。

 対象が携帯電話機に代わってもNetFrontは問題なく動くという確信が鎌田にはあった。実際,携帯電話機を想定したWWWブラウザ「Compact NetFront Browser」を開発中で,パソコン上で動かすプロトタイプが既に出来上がりつつある。今日のプレゼンテーションで指摘された点を基に若干の修正を加えれば,永田を満足させられるレベルのデモンストレーションを見せる自信があった。念には念を入れて,電子メール画面のサンプルや具体的なコンテンツ画面を想定したGIF画像も用意することにした。

「絶対に説得してみせる」

 鎌田の眼は1カ月先を見据えていた。

=敬称略

参考文献
1)松永,「iモード事件」,角川書店,2000年.

―― 次回へ続く ――

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