ゴルファーも専門医も

発売直前の展示会でも好評
発売直前の展示会でも好評
2000年10月上旬に開催された展示会「CEATEC JAPAN 2000」でも,カメラ内蔵型携帯電話機を見ようと多くの来場者がJ-フォン・ブースに足を運んだ。

 2000年10月末,製品発表会と展示会でのお披露目を経て,いよいよJ-SH04は発売を迎える。

 大方の心配をよそに,新製品は「絶好調」ともいえる売れ行きを示した。発売日当日には,人気ゲーム・ソフト並みに,行列ができた量販店もあったという。少なくとも,前のカラー液晶パネルを搭載した機種以上には売れそうだ。広島のパーソナル通信事業部には,ようやく安堵の色が広がった。

 天理のIC開発本部にも「滑り出し好調」との情報が入り始めていた。そして休憩スペースには,いつもの活気が戻ってきた。

「ゼロヨン,売れてるらしいな。言うたやろ,あれはいけるって」
「ウソや,お前,あの絵見て真っ青になっとったやないか」
「いや,最初はちょっとまずいかな,とか思うたけど,これはこれで,まあ,ええかと思い直したり…まあ,ええやないか,売れたんやから」

「佐野本部長もご機嫌やて。こんなに薄くできるとは思っとらんかった,期待以上や言うて」
「いっつも『開発は背伸びじゃなくて,ジャンプせい』言うてプレッシャーかけられとったからなぁ。やっと褒められたわけか。なんや,うれしいな」

医療現場で活躍する「J-SH04」
医療現場で活躍する「J-SH04」
朝日大学附属村上記念病院の脳神経外科が,救急患者の初期治療に活用していることを伝える新聞記事。この活用事例は学会でも報告され,現在では全国10の病院で採用されているという。(出典:中日新聞)

 そこに,モジュールの検査を担当した藤田直哉がスポーツ新聞を片手にやってくる。

「藤田さん,いったい何や,その顔。にやにやして」
「これこれ」
「好きやのう。またゴルフか」
「まあゴルフはゴルフやけど,まあ見てみ,この記事。このプロ・ゴルファー,ゼロヨン使ってるんやて。プロって,年中ツアーで飛び回ってるやろ,それでゼロヨンらしいわ」

「なんや,スチュワーデスの写真でも撮るんかいな」
「お前とちゃうわ。ツアーに出てて家を空けることが多いやろ,それで,いつもゼロヨンを持ち歩いて,滞在先から家族に写真を送るいうんや。家族のキズナを結ぶゼロヨン。ええ話やろ?」
「そりゃええ話や」

「そういえば,夕刊の1面にもゼロヨンが出てたらしいわ。何でも,人命救助に一役買っているって聞いたで」
「カメラで人命救助?」

 話題になったのは,中日新聞が取り上げたユーザー事例だった。岐阜市にある朝日大学附属村上記念病院の脳神経外科が,脳血管障害や外傷を負った救急患者の初期診療にJ-SH04を使っているのだという。

 同病院では,専門医が不在のときに急患があると,内勤スタッフがCTフィルムやMRIフィルムなどを見て,電話を使って専門医に口頭で説明し,指示を仰いでいた。だが,口頭では撮影した画像の患部の色や外傷の大きさなどはうまく伝えられない。

 そこでJ-SH04を採用したのだという。CTフィルムなどを携帯電話機に内蔵されるカメラで撮影し,メールに添付して外出中の専門医に送信する。専門医は,その画像を見て初期診療の指示を出すというわけだ。画像なら,細かい説明がなくても一目で状況が伝わる。

「へええ,そんな使い方もあるんやねえ。オレらじゃ想像もつかん」
「うちらの製品が人命を預かるわけか。もっと画質を上げんとあかんな」

IC開発本部長の佐野良樹氏
IC開発本部長の佐野良樹氏
1998年の不況を機に,シャープのIC開発本部はカスタム重視戦略を採り始める。佐野はその陣頭指揮に立つ。高機能化が進みつつあった携帯電話機は格好のモデル・ケースとなった。(写真:柳生貴也=本社映像部)

 社内では,J-SH04が発売される前から,すでに2001年に発売される次世代機種,次々世代機種の開発に着手していた。しかし,本当に「次」があるのか? それが心配で,開発が手に着かなかったというのが実情だ。

 その不安は,今や笑い話になった。後顧の憂いはない。目指すは性能向上のみだ。

原因不明の画像不良

 初期製品の反省を汲んで次世代機種に役立てるという目論見どおり,さまざまな指摘が集まりつつあった。社内でも不満があったディスプレイの貧弱さやCMOSセンサの感度などである。

 CMOSセンサについては,画質の向上が急務である。2001年春に発売される次の機種では,6万5000色の液晶パネルを搭載する。256色では目立たなかった色ムラも,6万5000色になれば目立ってくるだろう。しかも,部品の実装密度が高い携帯電話機は,通話時や画面表示時に温度が上がりやすい。CMOSセンサは,熱の影響を受けやすいため,温度対策が必要になる。CMOSセンサの開発を担当する小山英嗣は,以前,一緒にCCD方式のカメラ・モジュールの開発をしていた同僚からヒントをもらいながら画質の向上を図っていく。

 しかし,指摘の中には原因がはっきりしない不具合もあった。代表的なのは,画像が鮮明に表示されないというものだ。

 J-SH04の発売当初,J-フォンのホームページにはユーザーの利用を促すために,J-SH04で撮影した画像をユーザーから投稿してもらい,紹介するページが設けられていた。小山ら,天理のスタッフは,毎日アップロードされる画像を見るのを楽しみにしていた。時節柄,学園祭の写真が多いようだ。画像が増えるたびに,ユーザーの利用が広がっていることを実感できる。

 しかし,その画像の幾つかに,画面が鮮明でないものがあった。ピンぼけのような,手ブレのような。パソコンの画面で見る限り,なぜ鮮明ではないのかはっきりしない。

「手ブレと違うの?」
「手ブレとは違う感じやけど」
「ほかに何か考えられる?」
「さあ…」
「栃木のビューカムのチームに聞いてみようか。彼らは画像を扱うプロだから,何かヒントがあるかもしれん」

 天理事業所と,家庭用ビデオ・カメラを開発する栃木事業所とは,CCD方式のカメラ・モジュールの開発でつながりがあった。小山は,天理の三沢清利,矢田朗,坂井健二,広島のハードウエア設計担当者である安本隆,中川龍秀にも声を掛け,早速栃木に向かうことにした。

 栃木に着いた小山ら6人は,早速ビデオ・カメラの担当者と一緒にJ―フォンのホームページを見てもらう。だが,原因がはっきりしない。 「結構な頻度で画像が不鮮明になっているようですね。再現性があるかもしれません。それでは,我々も撮ってみましょう。ただ,むやみやたらに撮ってみても意味がありません。条件を幾つか設定して撮ればいいんです。まず,屋内と屋外。次に対象物は…」

 J-SH04をそれぞれ手にしたスタッフは,目標物を幾つか決めて,数ショットずつ撮ってみる。

「あるある,ボケたやつ」
「ホームページに投稿された画像と似てるよ,これ」
「でも,屋外のもあるし,屋内のもあるし,一貫性がないなぁ」

「あ,分かった」
「え?なになに?」
「しっかりあるよ,一貫性が。ボケてるやつみんな,矢田さんが撮ったやつじゃない?」
「確かに」
「オ,オレ…何もへんなことしてへんよ。おかしいなぁ」

「お前,壊したやろ,見せてみい…」
「オレのせいじゃ…」
「…あ,これやできっと。レンズに指紋がべったり付いてる」
「ほんまや。じゃあ,こっちも触わって撮ってみよか。…やっぱり,そうや」

 原因は,意外なところにあった。レンズ部に指紋が付着して,撮影した絵がボケていたのだ。

 早速,説明書に「撮影前には必ずレンズ・カバーに汚れがないか確かめてください」との注意書きを追加,販売の際に店頭でもわざわざ説明してもらうことにした。

まだ次がある

 2001年8月下旬。欧州で開催された電子機器の展示会「IFA2001」の講演には,シャープ 代表取締役社長の町田勝彦が立っていた。町田は新製品の「J-SH07」を手に,シャープがカメラ・モジュールに使われた画像処理技術や小型化技術を武器に,欧州の携帯電話機市場に打って出ると宣言した。

J-SH04の後継となる「J-SH06」と「J-SH07」
J-SH04の後継となる「J-SH06」と「J-SH07」
「J-SH06」はスティック状の「ストレート型」と呼ばれる機種(写真右2つ)。「J-SH07」は,売れ筋の2つ折りの機種。6万5000色のTFT方式の液晶パネルを搭載する。(写真:J-フォン東日本)

 同じころ,天理の休憩スペースには,いつものようにカメラ・モジュールの開発スタッフが集まっていた。輪の中心にはJ-SH07がある。

「これやな。6万5000色のTFT液晶パネル搭載機。これなら文句ないやろ。最初からこの絵が出てたら,あんなに心配することもなかったんやけどねぇ」

「ところで,小山さん,CMOSセンサの開発はどう?」
「これはすごいで。今度のはろうそく1本の明かりでも撮影できるんや。そのうち,携帯電話機に載っかって出るから,楽しみにしててよ」

「ほかからもカメラ付きが出てきたしな。これからは,画質で勝負や。きっと,広島もビックリするで。まあ,常にお客さんの先回りをせんとな」
「何や,佐野さんの受け売りか?」

 天理事業所では,今日も本部長の佐野のゲキが飛ぶ。「お客さんからの要求が来てからでは遅いぞ。常にお客さんの先を行け」。

ホームに響く電子音

 ちょうどそのころ,広島の山下と植松丈夫はJ-フォンとの打ち合わせのために東京にいた。

 電車を待つ駅のホームでは,携帯電話機を手にしたユーザーの姿が目に付く。最近は,メールを読んだりゲームを楽しむユーザーが増えたようだ。みんな画面に見入っている。しかし,ユーザーの手に収まっている携帯電話機は,遠目からは自社製品かどうかまでは分からない。

「あんまり手元を覗き込むわけにもいかんし。あれはうちの製品ですかね」
「カランカラン」
「お,この音は」

 シャッターを切ると同時に鳴る,聞きなれた電子音だ。振り返ると,そこにはシャープ製の携帯電話機を手にした女子高生がいた。楽しそうに友達同士で撮り合っている。

「それ,うちの製品だな」
「カランカラン」
「お,また」

 駅のホームに立つ,にやけたおじさんが2人。いぶかしげな視線を向けながら,その横をくだんの女子高生たちが通り過ぎていった。

―― 終わり ――