検査が追いつかない?

 再び奈良のIC開発本部の休憩スペース。カメラ・モジュールの生産が軌道に乗り始めた今回は,西田の報告会だ。

「あれはホンマモンや。ホンマのエキスパートや。わしらがあれだけ苦労しとったのに,みるみる解決しよるわけよ。バシバシ指示出して。ほんま胸がスーっとするで」
「へー。広島に本物がおったわけか」

 今回のモジュールの仕事を広島から請け負う際,西田は実装のエキスパートを自称していた。「天理のカメラ・モジュール開発スタッフは大量生産に不慣れ」という,広島側の不安を取り除くための苦肉の策ではあったが。理由はどうあれ,広島のベテラン担当者の手を煩わした今となっては,とても「エキスパート」を名乗るわけにはいかない。

「それにしても,小山さんが苦労してたCMOSセンサのノイズ問題といい,今度といい,うちにはぎょうさんエキスパートがおるんやなぁ。その人らのおかげでここまでたどり着けたんやから,感謝せな」
「ほんまや。やっぱ,100万台作るいうんはカッコええけど,そんだけ大変やね。思ってもみんかったわ」
「そんで,いよいよ藤田さんの出番というわけやね。調子はどうです?」

 名指しされた藤田が担当していたのは,完成したモジュールの検査である。

「それがなあ…。聞いてくれる?」

J-フォンが2000年10月下旬に発売した「J-SH04」
J-フォンが2000年10月下旬に発売した「J-SH04」

 それまでの検査といえば,ほとんどの場合が手作業で事足りていた。生産量がそれほど多くなかったためである。ちょっと数が増えれば,作業する人数を増やし,ひたすら頑張る。絵に描いたような人海戦術だ。

 だが,今回はそれでは済まされそうにない。特に時間がかかりそうなのが,カメラ・レンズの絞り調整である。カメラ・モジュールは,天理側で部品をすべて実装し,さらに絞りを固定してから出荷することになっていた。広島に手渡す前に,その絞りがうまく調整されているかどうか,撮影した画像を外部出力し,それを見てきれいに絵が出ているかどうかを評価するのである。

 従来の製品では,手で絞りを合わせて,目で確認していたのだが,それでは1日1万台という数をとてもこなすことができない。従来の方法をそのまま当てはめて恐る恐る試算してみると,広島側が必要とする1万個に対し,ケタが2つも違う。

「え? 1万個の約束が数百個?」
「そう」
「ぜんぜんアカンやん」
「ぜんぜんアカン」

 それではということで,今回はパソコンを使った自動評価システムを用意した。ところが,それでもぜんぜん足りないのだ。ボトルネックになったのが,画像処理用のICから出力する信号の速度である。ここが非常に遅く,パソコンに表示するまでにえらい時間がかかってしまう。自動化してほかの部分をいくら速くしても,ちっとも効率が上がらないわけだ。

藤田直哉氏
藤田直哉氏
部品を実装したカメラ・モジュールの検査を担当する。肩書は,シャープ IC開発本部 CCD事業部 第2商品開発部 係長。(写真:的野弘路=本社映像部)

「で,どないしたん?」

「あんときだけは,ほんま気が遠くなったわ。とりあえず検査が終わったらすぐにダンボールに詰めて日に2,3回は広島に送ったんやけど,そんなことで許してはもらえんわなあ。ほとほと困り果ててるのを聞きつけて,矢田さんが言うたんや。『何でもっと早うに聞いてくれんのですか』って」

「いったい,どんな秘策があったんですか,矢田さん」
「あんなもん,秘策でも何でもないわ」
「ずいぶんな言い方やなぁ。こっちは真っ青になってやっとったいうのに」

 矢田が教えたのは,「隠しモード」だった。そのICは,偶然ではあったが普段は使わない高速モードを持ち合わせていたのだ。そのモードに切り換えれば,取り込んだデータを高速で外部に出力できるようになる。 「そんなことも知らんで,こっちは勝手に命を削っとったいうわけや。アホらし。まあ,早めに気が付いてくれたからよかったようなもんやけど」

 専用ICの開発に始まり,CMOSセンサの開発,レンズの小型化,フレキシブル基板の確保,検査工程の短縮…。次々とハードルを乗り越え,奈良が手掛けたカメラ・モジュールの供給は,発売を2カ月後に控えた2000年8月にしてようやく軌道に乗り始めていた。

ようやく届いた試作機

 ちょうどその頃,広島ではようやく出来上がってきた試作機をめぐって議論が交わされていた。テーマは,画質。カメラで撮影した人の顔をディスプレイに表示してみると,どうもイマイチなのだ。液晶パネルの表示色数が256色しかないことが主な原因だった。画像処理ソフトに手を加えて画質の改善を試みたのだが,どうしても等高線のような線が残ってしまう。かといって,あまり処理をやりすぎると,今度は鮮明に表示したい画像がぼやけてしまう。

 シャープにすれば,当初から画質の悪さは折り込み済みだった。そもそも新機種のコンセプトは「持ち歩けるプリクラ」。本家のプリクラ画像は,写真などに比べるとかなり見劣りがする。それでも十分,受け入れられている。多少画像がぼやけていても,問題にはならないはずだ。

 そう頭では分かっていても,実際に画像を見てみるとさすがに不安になる。

 これを数百万画素もの高画質を想像させる「デジカメ」と呼べば,ユーザーに誤解を与えるかもしれない。今回は新しいジャンルの製品であることを強調して「モバイル・カメラ」と名乗ることにしよう。あとはユーザーの反響を待つだけだ。

 広島が試作機を手に議論をしていた同じころ,奈良のIC開発事業部の開発スタッフも,試作機の到着を,首を長くして待っていた。

「ところで,まだかな,ゼロヨン。早う見たいんやけど」
「どうやら,明日には営業の方に届くらしいで」
「明日は休みの日やけど。まあ,別の仕事もあるし,来てみるか。楽しみやな」

 翌日の土曜日。休日というのに,例の休憩スペースには,人だかりができていた。ようやく「J-SH04」の試作機が届いたらしい。

カメラ・モジュールは携帯電話機の背面に搭載された
カメラ・モジュールは携帯電話機の背面に搭載された
液晶パネルをファインダー代わりに使って撮影する。カメラの隣には,自分の姿を撮影する場合に使う鏡が備えてある。(写真:的野弘路=本社映像部)

「これか,ゼロヨン」
「ふーん,デジカメみたいに液晶画面をファインダー代わりに使うわけね。カッコええな」

「このレンズの隣にある鏡は何なん?」
「自分で自分の写真を撮るときに,ここに写してみるんだって。手を伸ばして自分をこの鏡に写してみるやろ。この鏡にある範囲を撮影できる,ちゅうことや」
「なーるほど」

「えらい小さいな。前の携帯電話機とサイズも厚さもぜんぜん変わらへん。ようこれでカメラが載せられたなぁ。坂井さん,レンズ薄くするのに苦労した甲斐があったな」

「早速何か撮ってみるか。どれにしよ」
「撮影第1号は,オレたちの顔や」
「よし,いこか」
「それじゃ,みんな集まって。笑ってーハイ,チーズ」
「カランカラン」

 カメラ付き携帯電話機には,盗撮防止用としてシャッターを押したときには,撮影したことが周囲の人にも分かるようにチャイムが鳴る。

「どれどれ。撮った写真を見るには,このボタンを押して,と」
「見せてみい」
「オレにも」
「何やこの絵は…,き,きったないなぁ」

 新製品を囲んだ天理のスタッフは,みな一様に肩を落としていた。

―― 次回へ続く ――