(コラージュ:松本毅)

大画面搭載機,カラー画面搭載機に続き,カメラ搭載機を次のターゲットに据えたシャープ。専用IC,CMOSセンサ,レンズを新規に開発するが,それらの部品を載せるフレキシブル基板の出来が散々だった。基板供給会社と,広島,奈良の関係者が一団となり,基板の確保にようやくメドを付ける。

 2000年夏。シャープ 天理事業所の休憩スペースには,いつものようにカメラ・モジュールの開発スタッフが集まっていた。今日の話題は,フレキシブル基板の話題である。

「聞いた?『フレキ』の話」
「歩留まり20%やて。20%とか聞かされたら,ふつう不良品率と思うわな。それでもヤバい数字やけど」

「広島はおかんむりだったらしいわ。基板が入ってこんことには,何も始まらん。お手上げや。西田さんと藤田さん,たっぷり絞られたらしいで」
「かわいそうにな。でもまあ,仕方ないわ。西田さんたち,『きっちり作らせてもらいます』とか大見得切ったらしいし」

携帯電話機向けカメラ・モジュールの開発舞台となった奈良のシャープ 天理事業所
携帯電話機向けカメラ・モジュールの開発舞台となった奈良のシャープ 天理事業所

 フレキシブル基板の製作と部品の実装は,当初広島のシャープ パーソナル通信事業部が受け持つことになっていた。それを,天理のIC開発本部側に引き寄せたのが西田勝逸と藤田直哉だった。2人で広島に出向き,「うちに任せてください」と説いたのだ。だが,西田らカメラ・モジュールの開発スタッフにとって,本格的な量産は今回が初めての経験である。いざ動き始めてみると,予想外のハプニングが続出した。

「で,歩留まりの件はどうなったんやろ」

「広島が,滋賀にある協力工場に担当者を派遣して,全面的にバックアップしたらしい。協力工場の方は,社長さんも出てきて,たいそうな騒ぎだったらしいわ。まあ,その甲斐あって,歩留まりはみるみる上がった言うとったけど」

「西田さんと藤田さんも,長いこと滋賀に詰めていたらしい」
「そういえば,あの二人,しばらく顔を見んかったな」
「あ,噂をすれば」

「西田さん,フレキの件,大変でしたね」
「もう噂になっとるんか。まあ,そっちはそっちで何とかなったんやけど」
「まだ何か」

「今度は岡山や」
「岡山って?」
「いや,また今度ゆっくりな。ほんじゃ,急ぐんで」

もうエキスパートとはいえない

西田勝逸氏
西田勝逸氏
藤田直哉氏とともに,広島にあるシャープ パーソナル通信事業部と交渉し,フレキシブル基板への部品実装を天理側で引き受けることにした。肩書は,シャープ IC開発本部 CCD事業部 第2商品開発部 係長。(写真:的野弘路=本社映像部)

 歩留まり問題を片付け数量確保にようやくメドを付けた西田だったが,またもや問題に直面する。岡山にある協力会社の工場に基板が入るようになってきたのだが,今度はその上に部品を載せる実装がうまくいかないのだ。フレキシブル基板への自動実装は,西田はもちろん,協力会社のスタッフも初めてである。なかなか扱いのコツがつかめない。

 まず問題になったのが,断線だった。フレキシブル基板に部品を実装する際には,まず基板を作業台(キャリア)に張り付け,実装後にはがす必要がある。そのはがす工程で,細い配線が切れてしまうというのだ。

 まだあった。うねりの問題である。フレキシブル基板に部品を実装する際には,当然ハンダ付けをする必要がある。だが,この基板は熱に弱いので,基板全体に熱をかけるリフロー法が使えない。このため,部分的に熱を加えてハンダを付けることになるのだが,このときの温度が少しでも高すぎると,基板に「うねり」が生じてしまう。

 西田は,組み立て工場に到着するとすぐに担当者から実装途中の基板を見せてもらった。聞いていた通りだ。それは無残にも,全体が波を打ち,うねっている。

 基板に部品を実装する際には,基板からの反射光を頼りに実装位置を決めることになる。ところが,基板にうねりが生じると,実装位置の認識精度が甘くなり,部品の実装位置にズレが生じてしまう。西田と工場の担当者は,ハンダの温度や量などを変えながら,試行錯誤を繰り返す。だが,うねりはなかなか解消しない。

 そうしている間にも,岡山にいる西田の下には,広島のパーソナル通信事業部から矢の催促が来る。いくらほかの部品が揃っても,肝心のカメラ・モジュールがないと携帯電話機は生産できない。「もうちょっとです。ちょっとだけ待ってください」。そう言い続けていたのだが,相手もさすがにしびれを切らしたようだ。ついには「助っ人を送ろうか」と言ってきた。

扱いが難しいフレキシブル基板
扱いが難しいフレキシブル基板
フレキシブル基板は,熱や衝撃に弱く,加熱したり実装時の作業台(キャリア)からはがすときに,うねりを生じたり破れたりしてしまう。(写真:的野弘路=本社映像部)

 西田は,本来広島が担当するはずだったカメラ・モジュールの実装を,天理が担当するように「仕掛けた」張本人である。自ら胸を叩いて引き受けた手前,簡単に白旗をあげるわけにはいかない。

 必死に試行錯誤を繰り返す。だがそれは,時間の浪費にしかすぎなかった。どうしても満足できる水準まで品質を上げることができない。ここはプライドを捨て,広島に実装担当者の派遣をお願いするしかなさそうだ。その担当者は,実装に関して30年の経験があるという。

「お待ち申しておりました。このフレキ基板というのはやっかいで,なかなか手に負えんのです。いろいろ条件を変えて試してるんですけど,うまくいかへんのですわ」

「聞いたよ。あんたが天理のエキスパートさんかい。広島から仕事持っていったって評判だ。それにしても,若いな。どれどれ,問題の基板ちゅうのを見せてみい」

 そういうと,彼は基板のうねり具合やハンダの状態を見極めて,次々と指示を出していく。「ハンダの量が多すぎる」「この温度はもう少し低く」…。西田は,その手際の良さに,ただただ目を見張るばかりだった。

「どうもありがとうございました」
「もう大丈夫と思うが,困ったことがあったら,いつでも言うてこいや」
「いや,ほんと,何とお礼を言ってよいのやら」

「そんなんはええ。わしらにとっても,フレキちゅうのは扱いにくいもんじゃ。けど,携帯電話機みたいにちっちゃいものを作るこれからの時代には欠かせんもんになるじゃろう。これをうまくこなせるようになったら,それだけでしばらくはメシが食えるで。まあ,頑張れや」

―― 次回へ続く ――