(コラージュ:松本毅)

攻勢に転じたシャープが「一人勝ち」を期して世に送り出したのはカラー液晶パネル搭載機だった。だが,他社もカラー機を同時に投入,夢はむなしく散った。その挽回を狙い,目を付けたのがカメラ付き携帯電話機である。その心臓部であるカメラ・モジュールの開発を任されたのは天理のIC事業部。専用ICに続き,CMOSセンサの開発にもメドを付けたのだが…。

「小山さん,今度のセンサ,随分苦戦してるようやな。この間言うとった例のノイズ,どうなん?」
「あれな。うちにおるアナログ回路のスペシャリストにいじってもろたら,一発や。さすがやねぇ。勘所をちゃんと押さえとる」
「すごいなぁ。あんだけ消えん,消えん,言うとったのに。今度その人,紹介してもらわんと」

 2000年夏,CMOSセンサのノイズ対策にメドを付けた小山英嗣らシャープ 天理事業所のカメラ・モジュール開発陣は,事業所内に設けられた休憩スペースに集まっていた。喫煙ができる休憩スペースは,彼らが一息つく場所であり,情報交換の場でもあった。

「坂井さんも,えらい顔色がようなったわ。この間まで難しい顔しとったけど,霧が晴れた感じや」
「例のレンズの厚さ,解決したらしいですね。厚さを今までの半分にしたいう話,聞きましたよ。あれ,どうやったんですか」
「矢田さんも,それまでのDSPを使うのをやめて,思い切って専用ICを作られたでしょ。あれとおんなじですわ」

「てことは?」
「数が出るなら,お客さんの要求に特化したほうがええ。最初のころは,ほかのお客さんのことも脳裏をかすめて,思い切りが足らんかったみたいや」
「どういうこと?」
「詳しく教えてくださいよ」

要求は現行の半分

坂井健二氏
坂井健二氏
レンズ一体型CMOSセンサの光学部を担当する。現在の肩書は,シャープ IC事業本部CCD事業部第2商品開発部係長。(写真:的野弘路=本社映像部)

 坂井健二は,携帯電話機向けのレンズ一体型カメラを手掛ける前に,ザウルス向けのカメラ・モジュールを開発していた。その大きさは,周辺回路を含めると10mm角ほど。広島のシャープ パーソナル通信事業部のスタッフが天理を初めて訪れたときに見せたのも,この10mm角のものである。

「厚さ10mmですか。随分大きいなあ。とてもこのままじゃ使えんわ」

 初めてレンズ一体型カメラを見た広島側は,開口一番こう言った。

「そうですか。これでも十分小さくなったんですけど…」
「カメラを入れても,今ある携帯電話機と同じ寸法でいくと説明さしてもらいましましたよね。携帯電話機って,中のスペースが10mmくらいしかないんですわ。その中に詰め込むんじゃったら,当然それよりも薄くせんとねぇ」
「目標値はどれくらいですかね」
「7mmにはしてもらわんと」

「7mm,ですか」
「そう,7mm。このカメラを基板の上に載せて,配線を出すことを考えると,そんくらいでしょ」
「はぁ」
「その後継機種では5mm,せめて6mmにしてもらいたいですね。やっぱり5mmかな」
「5mm…ですか」

 5mmといえば,現行製品の半分だ。既存の開発品で十分薄くしたはずなのに。これ以上,どこをどうしたら…。坂井は,ただただ光学部品の設計図面を見つめるしかなかった。

売れる携帯電話機だから

「やはり7mmは無理ですよ。まして5mmなんて」

 行き詰まった坂井は,上司の草野靖夫に相談を持ち掛けた。

「でもな,先方は首を長くして待っとるはずや」
「そうは言っても,もうどこも削るところはない思いますが」
「なら,順に見ていこか。まず,レンズは変えたんか」

「ええ。前の製品は2枚だったんですけど,今回は1枚構成にしてみました。2枚構成の方が収差も補正できるし性能はいいんですが,今回の製品は画面が小さいんで,うまくごまかせそうなんです。でも,それだけではいくらも薄くならないんですわ」

「そうか。で,このフードみたいな出っ張り。ここ,ずいぶん厚いな。もう少しどうにかならへんの?」
「これですか。ここを厚くして,余計な光が入らんようにしているんです。ここから光が漏れてくると,フレアとかゴーストが出てくるんで。まあ今回は,携帯電話機の本体側で遮光板をつけるいうてたんでええんやろうけど,PDAとかほかの製品にも使うとなると…。あ,そうか」

「どうした?」
「こんな小さい製品を載せるのは携帯電話機だけや。ほかの使い方は心配せんでもええんやったら,フードはいらんかもしれん」
「そうや。今回の仕事だけで100万台くらい出る。それだけでも十分や。広島専用の製品を作るつもりで,やっていこうやないの」

 今回の小型カメラは,広島からの注文で開発を始めたものだが,IC事業部としては外部への販売も考慮していた。それにしても,用途を広く考えすぎていたようだ。携帯電話機専用にするつもりだったら,もっと薄く,小さくできる。目標としていた「高さ5mm」も,次機種でといわず,一気に達成可能だ。

レンズ一体型CMOSセンサ
レンズ一体型CMOSセンサ
従来製品は高さが10mm(写真奥,右から3番目)だったが,携帯電話機への搭載に合わせ5mm(写真の左端)まで小さくした。(写真:的野弘路=本社映像部)

 用途を携帯電話機に絞ることで,利用シーンもクリアになってきた。広島は,携帯電話機のカメラは「プリクラ」って言っていたな。そうすると,自分で自分の顔や友達の顔を撮ることになるわけか。となると,レンズの画角も変えんとな。手を伸ばした状態で,上半身が入るとなると…。画角は60度か。

 これまで滞っていた作業が,とんとん拍子に進み始めたのは,このときからだった。

「その仕事,取ってこい」

「なるほど。確かに生産台数は1日1万台や言うとった。それなら徹底的に専用でいけるわな。でもな,それまでそんな数の仕事はやったことあらへんからなぁ。そりゃ,感覚狂うわ」
「台数といえば,この間発売になった『ゼロサン』の話聞いた?」

 話題に上ったのは,J-フォンが発売したばかりの「J-SH03」である。カラー液晶パネル搭載機としては,1999年末に発売した初代機「J-SH02」に続く,2世代目に当たる製品だ。

「聞いた聞いた。ゼロサン,えらい売れてるらしいな」
「これやったら,次のカメラ付きも売れるんちゃう?」
「広島は,今度の機種は100万台,言う取ったけど,ほんまに出るかもしれん」
「いよいよ,西田さんと藤田さんの出番やで。頑張ってもらわんと。無理矢理とってきた仕事やし」
「そんなプレッシャーかけられたら,かなわんな」

 西田勝逸と藤田直哉は,各部品の基板への実装とモジュール全体の検査を担当している。だが,1999年末の時点では,今回の開発案件に関して西田,藤田らの出番はなかった。当初広島からリクエストがあったのは,携帯電話機に内蔵するレンズ一体型カメラと,カメラが取り込んだ画像を処理するためのICの開発だけだったからだ。それらの部品を基板に載せ,さらに携帯電話機本体に組み込む作業は,すべて広島側でやることになっていた。

 その方針を変えたのは,IC事業本部トップの一声だった。年が明け,IC開発本部長の佐野良樹が,IC開発本部の全員を前にして事業方針を示したのだ。「デバイス開発だけやっとっても,もうあかん。これからはシステム・インテグレーション。うちが得意とする部品を組み合わせて付加価値の高い製品を開発する。これをやらんと,うちは生き残れへん」

 その佐野の目に留まったのが,今回の携帯電話機向けカメラ・モジュールの開発案件だった。早速関係者が佐野に呼ばれる。

「このカメラの件,どうなっとる?」
「ええ,昨年後半に広島のパーソナルの方から開発の打診がありまして。レンズ一体型カメラと専用ICの開発を進めとります」

「何や。のんびりしてんな。この間も言うたやろ,これぞシステム開発のチャンスやないか。CMOSセンサみたいな優れた部品を開発して,それを統合したモジュールとしても良い性能を出す。性能さえ高けりゃ携帯電話機も売れる。これはいいお手本や。すぐに広島に行って,仕事もらってこい」
「は,はい」

 佐野の命を受けた藤田と西田は,急きょ広島に向かう。

―― 次回へ続く ――