1999年の半ば,このとき企画が進んでいたのは,同年末に投入する機種だった。選択肢は2つ。カラーの液晶パネルにするか,階調を増やしたモノクロのパネルにするか――。この判断で,部内での意見は真っ二つに割れていた。
カラー推進派は,1年前の成功体験を強く意識していた。カラー液晶パネルを載せるというインパクトは,表示文字数が多い機種の比ではないだろう。ユーザーへの訴求ポイントとして,「カラー」というのは非常に分かりやすい。
カラー機を用意すれば,通信事業者もカラー表示が生きるコンテンツをそろえるなどの支援を惜しまないはずだ。ほんの少し前までは弱小メーカーだったシャープが,業界全体に大きなトレンドをつくることができるかもしれない。こんなチャンスがまたとあるだろうか。
一方,モノクロ・パネル推進派は,カラーのパネルを載せることの開発リスクを憂慮した。もしカラーがうまくいけば,大きなリターンが得られることは認める。だが,それだけリスクも大きい。技術的なハードルが高いのだ。例えば,バックライトとしては,パソコンでは実績のない白色LEDを使うことになるだろう。だが,白色LEDは少し青みがかっており,完全な白ではない。このため,すべての色をきれいに出すのが難しい。「はやる気持ちはわかるがのう,そうあせらんでもええじゃろう。液晶のシャープが,恥ずかしいもんを世に出すわけにもいかんし。もう少し時間をかけて完成度が上がるんを待った方がええと思うで」
経験を積んだエンジニアほど,カラー液晶パネルの採用には及び腰で,モノクロのパネルを支持する傾向があった。
両者とも一歩も譲らないため,結論を出すことができない。最終決断を先送りにするしかなさそうだ。といって,開発を中断するわけにもいかない。しばらくは2つのプロジェクトを並行して進めるしかなさそうだ。できれば開発リソースを分散することは避けたいのだが。
このとき,カラー推進派に追い風が吹く。STN液晶パネルを開発する事業部が,携帯電話機向けパネルの開発に強烈な意欲を見せてくれたのだ。STN液晶パネルは,パソコン市場でTFT方式に駆逐され,事業の存続を懸け次のアプリケーション開拓を進めていた。色味が悪い,消費電力が大きいとの指摘を受け,わずか1カ月の間に改良を重ね,試作モジュールを完成させた。それを見たカラー推進派の面々は,成功を確信した。
しかしモノクロ推進派は,それでは製品として世に出すには性能が不十分だという。同じモノを見ているはずなのに,一方はいけるというし,もう一方はダメだという。どうやっても平行線だ。
スイスからのメール
「カラーでやってみたらどうや」
長引く事態の膠着こうちゃくを見て専務の森弘は,ついに断を下した。森は当時,情報通信事業のトップだったが,かつてはデバイスも手掛け,部品技術には目が利く。その森が言うのだから,文句の付けようはない。こうして,1999年末に発売する「J-SH02」は,カラーの液晶パネルを搭載することに決まった(図4)。
山下は,文字数が最も多いことが受けた前機種を思い出していた。「今度も,カラー搭載機がシャープだけだったらどうなる。注目度は前回の比ではない。完全な独り勝ちだ」。年末の発売に向け,どんどん期待は膨らんでいった。
そして1999年10月,秋風も涼しく感じられるようになったころ,広島のパーソナル事業部は,J-SH02の発売時期である年末に向け,量産体制を整えていく作業に追われていた。
社内を奔走していた山下が,植松に呼び止められる。
「山下さん,これ見てもらえませんか」
「なんや?」
「これですわ」
「……」
二人が見たのは,パソコンに表示された携帯電話機の画像ファイルだった。まぎれもなくカラー液晶パネルを搭載した携帯電話機である(図5)。1999年の10月上旬,スイスのGenevaで行われていた展示会「TELECOM99」の会場から,出張していた社員が送ってきたものだ。残念ながらシャープ製ではない。
TELECOMは,4年に1度開催される電気通信分野の展示会である。世界中の通信事業者と,通信機器関連メーカーが集まることから,オリンピックにもなぞらえられる巨大イベントだ。このTELECOM99における話題の中心は,世界各地で普及が進んでいる携帯電話機だった。
競合他社の動向を探るために現地入りしていた社員が,各社の出展ブースの様子,製品写真をデジタル・カメラで撮影しては次々と送ってくる。
「どこのブースや」
「ドコモですね」
「ほーか」
メーカー各社がW-CDMA対応端末など,数年後のサービスが見込まれる次世代機のコンセプト・モデルを出展するなか,NTTドコモは発売直前の機種「デジタル・ムーバF502i」と「同D502i」を出展していた。両機種とも,同年8月に100万ユーザーを獲得するなど,急成長しつつあった「iモード」の2世代目となる機種である。製造するのは,それぞれ富士通と三菱電機だ。
次の一手は
2人は,呆けたように,画面を見つめていた。
「よそもカラーを出すゆううわさは聞こえとったんですが,ほんまでしたね」
「しかも,2機種もあるで」
「2機種は予想しとらんかったです。まあ,出ても1機種じゃろうと…」
「ああ」
完全な誤算だった。これでもう,「唯一のカラー対応機」として売ることはできない。簡単に独り勝ちできるほど,携帯電話機の開発競争は甘くはなかったようだ。
一方で,カラーを出すことにしておいてよかった,という気持ちもあった。
「他社も出してきたんは悔しいけど,カラーを出しといて正解でしたね。モノクロじゃったら,全然話題になりませんわ」
しかし,カラー機というだけでは,既に圧倒的な優位に立てないことが明らかになった。
「半年も経ってみい,参入メーカーは2社どころじゃなくなるで」
「次ですね。次を急がんと」
J-SH02は,最初にカラー液晶パネルを搭載した製品として,物珍しさもあって売れるだろうが,その先は分からない。次の手,そしてその先の手を早急に打たなければ…。同じ場所に安住してしまえば,瞬く間に優位性は奪われる。
まずは現行機種の改良だ。J-SH02はカラー機として最初の製品ということもあり,完成度としては物足りなさが残っていた。画面の明るさや,表示色にはまだまだ改良の余地がありそうだ。すぐに矢継ぎ早に改良点を指示する。こうして翌年5月に発売する後継機種「J-SH03」の仕様はほぼ固まった。
次は1年先の2000年末に発売する機種か。カラーだけでは戦えない。植松は,前月にあったミーティングでの議論をとっさに思い出していた。あれだ,とひらめくや,右手はもう受話器を握っている。
「近いうちに会えんか? 例のあれ,進捗状況を知りたいんじゃけど」
―― 次回へ続く ――