日亜におけるGaN研究開始の経過

 1986年に筆者は米国のフロリダ大学に渡り,MOCVD(metal organic chemical vapor deposition)の研究をしていた。当時行なっていたSiウエーハ上にGaAsを結品成長させる研究の先行きに不安を感じ,広エネルギ・ギャップ半導体に関する調査をしていた。II-VI族半導体やカルコパイライト半導体などの調査をして,1987年にはGaN系半導体が最も有望だと自分なりに判断した。II-VI族半導体と比べると研究者の数が少ない割に成果が多く出ていること,問題点が比較的明らかになっていることなどが理由である。

 当時筆者が感じていたGaN系半導体の問題点は,(1)大量のNの空孔がドナーとして働きp型になりにくい,(2)AIN,GaN,InNの成長条件が大きく異なるのでそれらの混晶の成長が困難, ということであった。

 1988年に筆者が徳島大学に赴任することが決定したのを機に,日亜化学工業でGaN LEDの研究を開始することになった。そこで,V族原子(窒素)の空孔が問題であればV族原子で埋めればよいという発想から,P(リン)やAs(砒素)を添加したり,C(炭素)で埋めればよいアクセプタになるかもしれないと考えた。これらのことを日亜化学工業に提案し,同社で試みた。さらに,成長温度を下げるため,有機窒素化合物をアンモニアの代わりに使うことも提案し,同社で実行した。

 3元混品の作製については,2元の多層薄膜で代替するため,多層薄膜が形成できる特殊なMOCVD装置を1988年に設計した。この装置を発展させて,中村氏はツーフロー型のMOCVD装置を開発したのである。

研究成果の報道姿勢について

 研究と開発は車の両輪であって,どちらが欠けても車は動かない。われわれは,直接製品を生み出す開発ばかりに目がいき,もう片方の研究の重要性を忘れがちである。どのようなデバイス開発においても一人ですべてを達成することは不可能で,過去の成果に立脚し,どの部分が自分のオリジナルであるかを明確にしながら開発してゆくのが常である。

 ジャーナリズムは結果だけを報道,評価するのではなく,そこに至った経過と先人の業績にも焦点を当てるべきであると考える。そうすることが,基礎研究とオリジナリティを重要視する風潮を作るのであって,それも技術雑誌の使命の一つであると信じている。