最近,長年の懸案となっていた青色発光ダイオード(LED)が実用になったことは一材料研究者として喜びにたえない。『日経エレクトロニクス』においても多くのページをさいて日亜化学工業の業績を解説している。本年2月~3月は,中心人物である中村修二氏にスポットを当てた記事も連載された。

 これらの記事を拝見して,GaN LED開発の歴史に関する認識が,私が考えていたのとかなり違うように感じている。そこで,開発の歴史を振り返るとともに,一研究者としての意見を述べてみたい。

GaN LED開発の歴史

 図1は,英IEE(Institution of Electrical Engineers) が提供しているデータベースINSPEC-A (登録文献数約290万件)に, GaNをキーワードとして登録されている論文,758件の年次別内訳である。必ずしもすべての論文を網羅しているわけではなく,LEDと関連の薄い論文も含まれていると思われるが,研究動向の大筋をみることはできる。

図1 GaNに関する論文数の年次推移
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 最初の論文は1968年に発表され,結晶成長に関する論文は1969年に発表されている。1970年代半ばに一つのピークがあり,1980年代はほぽ一定の数で推移して, 1990年代に入って急激に増加している。

 実用的な高輝度LEDを作るためには,いくつかの重要な技術が必要である。それらが最初に達成された年代を,達成した人物の名とともに示したのが表1である。以上の歴史的経過を,図1と比べながらたどると面白い。1969年の材料合成の成功に触発され,1970年代に研究が活発になり一つのピークを迎えた。最初のLEDおよび光励起レーザは,1970年代の初期に達成されている。しかし,p-n接合ができない,発光強度が十分でない,といった重要な欠陥のため,その後,論文数はざん減している。

表1 GaN系半導体の主な研究成果
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 しかし,1991年になると論文数が急激に増加した。これは,1989年のp型層の達成の影響とみることができる。さらに1992年の高効率LEDの実現,1993年の青色LEDの達成がさらに研究を活発化させることになった。本年はさらなる増加が予想される。1991年からの論文数の急上昇は,p型層の達成が引き金になっている。そのほかの困難な点はすでに解決されており,最後の障壁が取り除かれたことで多くの研究者が一挙に研究を開始したと思われる。

 以上の歴史をたどると, LEDの基本構造の作製までは名古屋大学の赤崎勇教授(当時,現在は名城大学教授)のグループの研究が,その後の実用的LEDの作製には日亜化学工業の中村氏が大きく貢献していることがわかる。このような経過を考えると,今回の日経エレクトロニクスの報道は後者のみを取り上げており,不十分との印象を受ける。