滝川洋二
滝川洋二(たきかわ・ようじ)
1949年岡山県生まれ。教育学博士。埼玉大学理工学部物理学科卒業後,国際基督教大学(ICU)で博士課程を修了。1979年からICU高等学校教諭。現在は,ガリレオ工房理事長,理科カリキュラムを考える会理事長,東京大学特任教授を兼務。専門は概念形成研究,カリキュラム研究。『どうすれば理科を救えるのか』(亜紀書房)など著書/編著書多数。(写真:柳生貴也)

 私だけではなく理系の人が非常に危機感を持ったのが,1989年の学習指導要領の改訂によって理科の授業時間が大幅に減ったことです。私が中学生や高校生だったころは,小中学校の理科の授業はすべて合計すると1048時間でした。それが,そのときの改訂で735~770時間になり,1998年の改訂でさらに640時間に減っています。2009年4月からは,新学習指導要領が小中学校に先行導入され,ようやく790時間に増えるのですが,昔のように義務教育でしっかり理科を勉強するというところまでは届きません*1

*1)小中学校の新学習指導要領は,小学校では2011年度から,中学校では2012年度から全面実施になる。2009年度からそれまでは移行措置期間となるが,算数・数学と理科については同期間中から授業時間を前倒しで増やし,新課程の内容の一部を組み込むことになっている。

 高校の場合は理系と文系で違っていますが,1960年代ぐらいまでは普通高校であれば,文系でも3年間で15単位(1単位は35時間)取らなければいけませんでした。それが,今は4単位です*2。理系の場合はそこまでは変わっていないのですが,以前は理科を全科目取らなければならなかったのに対し,そうではなくなっている。大学が受験科目を減らしていることもあり,物理を全く勉強しないで工学系に行ったり,生物を学ばないで医学部に行ったりという状況が出てきています。

*2)高校の新学習指導要領は2013年度の入学生から年次進行で実施。ただし,数学と理科については,2012年度の入学生から先行して導入される。

 こうした背景から,中学校卒業までに身に付けるべき理科の知識が,昔でいう小学校卒業のレベルぐらいまで落ちてきています。学力テストの結果で国際比較して,落ちているとか落ちていないとかいう議論もあるわけですが,そもそも習うべきものを教わっていないわけですから。本当に基礎力が低くなっている。

――理科の授業時間の減少で,学校では何が起きているのでしょうか。

 実験の時間が削られています。理科の場合,先生が教科書の内容を説明するだけでも時間が相当かかります。このため,実験を犠牲にせざるを得ないのです。確かに,新学習指導要領によって授業時間数がちょっと増えたので,この点も改善されるだろうという期待はしています。けれども,昔あった実験器具は「ゆとり教育」の期間にほとんど捨てられてしまって,また買わなければいけない。

 しかも,実験をよくやっていた団塊の世代の先生がどんどん減ってきていて,代わりにこれから入ってくる若い先生は義務教育でしっかりと実験をやっていなかった世代です。だから,この点でかなり厳しい循環になってしまっています。これから数十年は,この影響が続くと思います。

 特に,小学校の先生は約9割が文系です。昔だったら中学校を終えるまでに受けていたはずの理科の授業時間よりも少ない時間しか理科の授業を受けずに,小学校の先生になってしまっている人がいるわけです。大学も,小学校の先生になるためにわざわざ高校の理科を教えたりしません。もう,ほとんど理科について好きになるチャンスがないまま小学校の先生になってしまうのです。ですから,小学校の先生は自分は理科が嫌いというわけではないのだけれども,教えるのには自信がないのです。とりわけ実験は,けがをさせてはいけないということもありますから,手が出なくなるみたいです。

――どうして,学校教育において実験は重要なのでしょうか。

 科学の面白さの一つとして,自分で確かめてみて納得するということがあります。ここがすごく重要です。

 私は以前に高校で物理の教員をやっていたのですが,高校3年生に対して受験直前だからといって理論を中心に教えたことがありました。まだ,教師になりたてのころだったのですが。そうしたら,多くの生徒が物理そのものを好きでなくなってしまって。それで,途中から授業に実験をたくさん盛り込むように方針を変えたのです。

 実験の優れた点は,抽象的な概念が具体的なものと結び付いて理解できるようになることです。例えば,電磁気は数式で表現できるのですが,それが実際にどうなっているのかは,数式だけでは感覚的に理解できません。やっぱり,自分で実験装置を組み立ててみて,電流はどこをどういうふうに流れているのかを試してみないと,理解することは難しいのです。

 その感覚が分かるようになると,例えば浪人してでも,とにかく夢を持って自分で勉強していこうという生徒が育っていきます。そうでないと,面白くないから物理を捨てて別の科目で受験しようとかいうようになってしまうのです。もちろん,受験を考えて物理よりも自分にとって点の取りやすい科目で勝負する生徒はいつの時代でもいます。ただ,比較の問題として,物理が面白いから物理を勉強しようという生徒がたくさん残るということです。実験によってその面白さを知るのです。

――授業としての実験のやり方には,コツがあるのでしょうか。

 実験といっても,私が用意するのは理解を促すための動機付けの実験です。ですから「どうしてそうなるんだろう?」と不思議に思わせるように心掛けていました。そうすると,どうしても本質が知りたくなって,生徒が自ら勉強を進めるようになるのです。

 もう一つ,かなり重視していたのが,実験で理論を学んだら,今度はそれを使って新しいことに挑戦するように導くことです。

 例えば,実験を通じてモータの仕組みや原理を教えたら,次は自分たちでできるだけ小さなモータを作ってみようと提案します。学んだ原理から,どこまで小さくできるのかに挑戦するわけです。例えば,その辺にある材料を使って,小さなモータを作ってみる。すると,その効果が後々の学習で出てくるようになります。何かの原理を教えると,その原理は今どこに役に立っているのか,ほかに役立てられるところはないか,自分ならどんな工夫ができるかなどを原理を学びながら考えていくようになるのです。

 こうした「学んだことを使って工夫する」ということを何回か繰り返していくと,何のために学ぶのかと疑問を持っていた生徒が,学んだら何かに使おうという姿勢に変わってきます。学ぶ意欲が全く違ってくるのです。今までずっと受け身で,与えられたことを「覚えよう,覚えよう。試験に出るから」と思っていた生徒が,自分が学んだら自分が何かをする,変えていくんだ,というように変化していきます。

 このような教育は,実は文系の生徒にも重要です。今まで人がやっていたことをただまねするのではなくて,そこから工夫して人がやったことがないものに挑戦することは,ビジネスの世界でも求められていますから。

 私は,そうした感覚を中学校とか高校の教育で養っていくことが重要だと考えています。大学までは基礎教育だということで,知識を中心に教えていくといった現状のやり方は間違っているのではないでしょうか。