高輝度青色発光ダイオード開発物語の第3回。第1回と第2回では,開発者の中村修二氏が入社してから,青色発光ダイオードの研究で最初の成果を出すまでを追った。今回は,開発が軌道に乗り始めてダイオードが光るまで。発光層となるGaN膜ができたころから開発は順調に進み始める。平滑なGaN膜の成長,続いてp型GaN膜の作製,そしてpn接合型の発光ダイオードの試作にこぎつけた。波に乗って半導体レーザもねらえるダブルヘテロ構造を標的にする。しかしそのとき,意外な障壁が行く手に現れた。
高品位のGaN膜が突如できなくなって2カ月が経つ。装置の改造,特にガスの吹き出し方法の微調整が続く。しかし,天は見放したわけではなかった。1990年も暮れるころ,安定にGaN膜を成長させる条件が,手探りながらわかってくる(図1)。
最初に高品位GaN膜ができたのは,ほとんど奇跡だった。ほんの少しでも膜の成長条件が変わると,まるで膜ができなくなってしまう。このような厳しい条件下で偶然できた膜といえる。それでもできた。できたことが励みとなって,安定な膜成長条件を探り当てることに成功した。流れは中村氏に向いてきた。