もっとも,日本の産業界がMUSEの実用化に注ぎ込んだエネルギーにはすさまじいものがある。それでも結局,本格的な実用期を迎えなかったのは,「実用化の想定時期が2000年代にずれ込んだこと」に加えて,「産業の融合が起きたときに,閉じた業界に特化して開発を進めてきた側が生き残れない」――ということではなかったのだろうか。

1990年には影すらなかった…

 1990年ごろに立ち返ると,今では当たり前のように受け取られているこの変化を予想できた人はほとんどいなかったはずである。デジタルHDTV放送技術の最初の提案は,恐らく1990年に米General Instruments(GI)社によるものであろう。当時,米FCC(連邦通信委員会)がATV(advanced television)方式を募集しており,その中で登場した。

 当時,国内ではBS放送によるMUSE-ハイビジョンの試験放送を1991年にスタートさせる準備を進めていた。それまでも実験放送は行われていたが,試験放送にステップアップすることでまさに実用化へ大きな一歩を踏み出そうとしていたわけだ。ただし,チャンネル数は一つであり,普及への道筋を描ける段階ではなかった。しかし,「国内の放送方式をデジタル方式へ転換する」といった議論は全く出ていなかった。

 こうした状況が一変するのが,1992年のことである。同年4月の「NAB Show」(米NABが主催する世界最大の放送関連の展示会)において,GI社と,「DigiCipher」方式の共同提案者である米Massachusetts Institute of Technology(MIT)がデモンストレーションを実施し,絵空事ではなく現実的な技術であることを証明して見せた。まさに「黒船」の到来だと,日本の関係者を震撼させた出来事である。

 この年は,デジタル放送史を飾る出来事が相次ぐ。同年7月に行われた「IBC '92」(欧州最大の放送関連技術展)で,スウェーデン放送など北欧企業が組織したHD Dvineが,変調方式にOFDMを採用したHDTV放送のデモを行った。その後,OFDMは欧州や日本などの地上デジタル放送の標準技術として採用されることになる。

 ちょうどそのころ,国内では1993年春に結論を出すことを前提に,BS-4における技術方式の検討が,電波監理審議会で進められていた。その前年に当たる1992年6月に,NHK放送技術研究所の一般公開において,NHKの技術研究陣がそれまでのデジタル放送の研究成果を,一挙に発表したのである。「世界的なデジタル・テレビ放送の開発の流れは,もはや動かし難いものになったといえる」と,筆者も当時執筆した記事で記述した2)