マイクロTACの登場は,特に日本市場への影響が大きかった。折しも1980年代末に進められていた日米通信摩擦交渉で,自動車・携帯電話がそれまでのレンタル制から店頭売り切り制に変更されることが盛り込まれたからだ。売り切りにより,携帯電話機が民生品となる。家電メーカーやオーディオ・メーカーまでもが一気に携帯電話端末の開発になだれ込んだ。これがその後,20年近くの間,10社を超える多数のメーカーが乱立して端末機能向上にしのぎを削る「日本ケータイ市場」誕生の瞬間だった(図2)。

図2 様変わりした国内端末メーカー
図2 様変わりした国内端末メーカー
国内の店頭売り切り開始前後と,2009年現在における主な携帯電話端末メーカーを比較した。日本無線や三菱電機などが抜けた代わりに,韓国や台湾のメーカーが端末を供給するようになった。(a)は本誌1990年4月16日号,p.130から。

小型化は先行するも,市場は国内中心

 従来の通信機器メーカーに,家電メーカーやオーディオ・メーカーまで加わって,端末の小型化および高機能化競争が始まった。当初のスローガンは「マイクロTACに追い付き,そして追い越せ」である。その後1990年代に入ると,NTTドコモの「デジタル・ムーバ」シリーズで,初めて重さが100gを切る端末が登場したり,60gを切る端末も発売されたりした。この結果,日本の機器メーカー向けに部品を供給していた電子部品メーカーの小型化技術が磨かれることにつながった。端末メーカーの技術も成熟し,世界でも突出したケータイ大国を形成することになる。