本誌を創刊した1971年,世界初のマイクロプロセサ「4004」が誕生した。トランジスタ数はわずかに2300個,クロック周波数108kHzの4ビット・マイコンは,米Intel Corp.の手で世に送り出された。この発明を起点とし,コンピュータ業界は,ダウンサイジングという技術イノベーションの道を歩むようになる。

 当時,コンピュータといえば,計算機ルームに格納された高価な会社の資産であり,複数の部門の複数の利用者で共有するのが当たり前だった。こうした時代観を背景に登場した4004のアプリケーションは,卓上計算機(電卓)だったのである注1)。コンピュータ資源を個人が独占して利用するという,今では当たり前のコンピューティング・パラダイムの原点がここにある。

注1) 4004の開発には,一人の日本人が深くかかわっていた。嶋正利氏である。彼は,アプリケーション側の立場から,プログラマブルなマイコンがいかに重要かを粘り強く主張し,4004の設計思想に多大な影響を与えた。コンピュータ分野では,多くの技術革新が米国で生まれたが,その初期において日本人の貢献があったことは後世に伝えたい逸話である。

 現在のパソコンの性能は,当時のメインフレームを大幅に上回るものだ。どれだけ豊かなコンピュータ資源を個人に利用させることが可能なのか――コンピュータ技術者はひとえに,「コンピューティング環境のコモディティー化」というテーマに挑み続けてきたわけだ。

10年ごとに新パラダイム

 コンピュータ業界には,おおむね10年に1度の割合で,新たなコンピューティング・パラダイムが提唱される(図1)。

図1 メインフレームからパソコンへダウンサイジング,そしてクラウド・コンピューティングへ
図1 メインフレームからパソコンへダウンサイジング,そしてクラウド・コンピューティングへ
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 ダウンサイジングの流れを作った一番手は,米Digital Equipment Corp.のミニコンである。主に,エンジニアリング用途に向けて開発されたミニコンの登場により,コンピュータは会社の資産から部門の持ち物へとダウンサイジングした。1980年代になると,ワークステーションの開発が活発になる。米Sun Microsystems, Inc.を筆頭に,米Hewlett-Packard Co.(HP社)などが性能競争にしのぎを削った。競合企業間の激しいコスト競争の結果,ワークステーションの価格対性能比は急速に高まり,普及の足取りの歩を速める。1990年ごろにはエンジニアがワークステーションを独占して使うのも当たり前のこととなった。コンピュータの個人利用が,ようやく現実のものとなったのである。