垂直磁気記録方式をご存知だろうか。これは、Tech-On!読者に対して失礼な質問に違いない。エレクトロニクス産業において、磁気記録装置の記憶密度を高めることは重要テーマの一つであり、読者の関心は高いはずだ。実際、Tech-On!の過去記事を検索してみると、垂直磁気記録方式の実用化については色々なニュースが公開されている。そもそもTech-On!編集長の原田氏は、弊社内で「king of disk」と呼ばれているほどだ。もっとも「ディスクの王」の意味はよく分からない。

 お恥ずかしい話だが、筆者はつい最近まで垂直磁気記録方式についてほとんど何も知らなかった。筆者が担当しているIT産業にとってストレージは一大事業領域であり、そこにおける技術革新に注意を払っていなければならない。日立製作所とIBMのハードディスク事業統合には関心があるものの、垂直磁気記録方式のような技術については、あまり関心がなかった。

 しかしひょんなことで、垂直磁気記録方式の発明者である、岩崎俊一氏をインタビューする機会に恵まれた。筆者は日経ビジネスの編集委員を兼務しており、ときおり人物記事を同誌に書いている。数カ月前、本欄のイラストレーターである仲森(日経ビズテック編集長を兼務)に、「イノベーションを成し遂げた人物で、興味深い方はいませんか」と尋ねたところ、彼が「それはもう、垂直の岩崎さんでしょう」と推薦してくれたのである。

 岩崎氏は現在、東北工業大学の学長をされている。Webサイトを調べて分かったことだが、なんと理事長も兼務していた。理事長といったら、企業でいうところの社長であり、学長が兼務している例は珍しいと思う。これだけで相当強烈な人であろうと想像できた。東北工業大学がある仙台へ向かう新幹線の中で仲森に聞いてみた。

「岩崎さんってどんな人ですか」
「………すごいですよ、とにかく。……………谷島さんがどんな感想をもたれるか楽しみです」

 東北工業大学の理事長を訪問し、岩崎氏にお目にかかった。結論を言うと、大変大変興味深いインタビューになった。筆者が過去20年インタビューしてきた中で、おそらく五本の指に入る面白さであった。確かに「すごい人」である。強烈な人に会い、記者としての執筆意欲を喚起されたので、一生懸命原稿を書いた。締め切りも守った。技術面については、ディスク王の原田と、イラストレーター仲森の助言を得たので、一応正確な表現になっていると思う。その記事は、日経ビジネスの10月10日号に掲載された。ご興味のある方はぜひ読んでいただきたい。

イラスト◎仲森智博
 気合いを入れて執筆したため、4ページを超える原稿になってしまった。収納場所は3ページしかない。やむをえず1ページ削り、なんとか3ページに納めた。今回、削ってしまった逸話の一つを紹介したい。垂直磁気記録は、トルストイの「戦争と平和」から示唆を受けて生まれた、という話である。

 Tech-On!読者の方々には釈迦に説法だろうが、垂直磁気記録方式をごく簡単に説明する。テープやディスクなどの媒体の表面に対し、垂直方向に磁気を持たせ、そこに画像や音声信号を記録する。従来は、媒体の表面にそって並行に磁気を持たせていた。

 岩崎氏は、磁気がどのように記録されているかを調べ、水平方向と垂直方向の両方の磁気があることに気づいた。水平方向に磁気を持たせる従来の記録方式においても、水平と垂直の磁気がバランスしていたのである。ということは、バランスを変えれば、垂直方向に磁気を記録できるはずだ。これが垂直磁気記録方式の骨子である。

 この考えとトルストイの「戦争と平和」に何の関係があるのか。岩崎氏はロシア文学の愛読者で、学生時代にトルストイやドストエフスキーをかなり読み込んだ経験を持つ。研究室で磁気記録について考えていたとき、戦争と平和に書かれていた「作用と反作用」の逸話を思い出したという。

 岩崎氏の説明によればこうだ。戦争と平和は、フランスのナポレオンがロシアと戦う話である。フランス軍がモスクワの近くまで攻め込んだ時、見かけ上はどんどん進軍している。しかしロシア軍とぶつかったことで、フランス軍も相当な痛手をこうむっていた。トルストイは、見かけ上進んでいるが実は疲弊していた、という状態を「作用と反作用」という表現で描いた。

 岩崎氏は、磁気記録の仕組みも作用と反作用で考えられると気づいた。様々なベクトルの磁化があり、そこに作用と反作用がある。こう考えることで、磁力が減る「減磁」と呼ばれた現象を、きちんと説明できるようになった。ここから垂直磁気記録方式の構想が生まれたのである。

 イノベーターにとって重要な能力の一つは、構想力と思われる。構想力を強くする方法があるのかどうか不明だが、専門外のことを考えるなど、日ごろから頭を柔らかくしておく必要があるのではないか。岩崎氏のように文学に親しむことで、構想力が広がる可能性はある。もちろん、いくらトルストイを読んでも、何の発想も出ないことは十分ありうる。それはそれでよいのである。イノベーションのために、読みたくも無い文学書をわざわざひも解くのは馬鹿げている。

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