前回本欄に書いた「ダイソンしてますか?」はおかげさまで好評であった。やはりジェームズ・ダイソン氏は技術者の間で人気がある。今回は、Tech-On!読者から寄せられたご意見をもとに、「ダイソンする」について考えてみたい。

 まず、前回記事に対して、あるTech-On!読者が書き込んだ意見を再掲する。

 非常に身につまされる話です。
 一つ気になったのは,エンジニアが「ダイソンする」ことが現実的なアプローチたり得るかという点です。実際問題,設計からマーケティング,経営,販売,アフターサポートまで全てを自分でやることが可能なのは,余程のスーパーマンだけでしょう。本田宗一郎氏にしても,藤沢武夫氏とのタッグがあったからこそ成功を収められたわけです。
 「ダイソンすべきだ」という意見は正論かもしれませんが,全てのエンジニアにそれを要求するのは無謀と言わざるを得ません。また,それが無謀だと知っているからこそ,我々はチームで仕事をするわけです。
 昨今は「これからのエンジニアは経営やマーケティングも知らなくちゃダメだね」と安易に言う風潮が感じられます。そこには,いもしないスーパーマンへの期待,組織論の軽視など,日本の企業をますますダメにする要素がてんこ盛りになっている気がしてなりません。

 仰る通りである。前回コラムでは、ダイソン氏の考えを紹介することに専念したため、筆者の考えをほとんど書いていない。今回は、読者のご意見をもとに、筆者が思うところを書いてみる。インターネットの利点は、会ったことも話したこともないTech-On!読者の皆様と意見を交換できる点にある。他の読者の方々も、本テーマについてご意見があれば、ぜひ書き込んでいただきたい。

 ダイソン氏や彼が作った製品、そして彼の会社を一言でまとめて表現して欲しい、と要請されたなら、筆者は「極端な理想型」と答えたい。「ダイソンする」、すなわち「エンジニアが、製品コンセプトの発案から、必要な技術の発明、製品のデザイン、ものづくり、マーケティング、営業まで、すべてをやり通す」ことは理想型と言える。

 実際、大きな発明や発見をした研究者や、産業史に残る製品を開発したリーダーにお目にかかると、多くの方々が「若いときに、研究開発から営業、顧客対応まで一通りのことを担当する機会に恵まれた」と語る。筆者が編集にかかわっている日経ビズテック誌の船出号の企画で、こうしたリーダーの方々に「イノベーションを達成できた理由」を聞いて回ったときがそうであった。一緒に取材していた同僚と「全部同じ話になってしまいそうだ」と話し合ったほどである。取材した方の中には、大企業に所属し、起業まではしていない方もいたが、彼らは皆、「ダイソンしていた」のである。

 研究者やプロジェクトリーダーとしてではなく、経営者としてもダイソン氏の活動は「極端な理想型」と言える。前回のコラムでは紹介しなかったが、ダイソン氏は企業経営についても独特の考えを持っており、その考え通りに舵取りしている。自分の考えを貫くためにダイソン社の株式は公開していない。

 「妥協」という言葉を知らないかのような、ダイソン氏の流儀は極端であるが、極端だからこそ、あの痛快な自伝が生まれたと言える。もちろん、読者の方が指摘したように、誰でもできるわけではない。というより、できない人がほとんどだろう。それでも筆者が、ダイソン氏のことを本欄で紹介した理由は単純で、とにかく元気が出るいい話だと思ったからである。

異なる専門家をつなぐインタフェース

 ダイソン氏の活躍は痛快だが、彼のような極端なことは現実にはなかなかできない。昨今の企業においては分業体制が確立しており、かつての先達のように、一人で全部を担当することは難しくなっている。それでもなお、「エンジニアが幅広い視野をもって活動する」ことは重要であると思う。

 ご意見を寄せられた読者が指摘するように、チームで活動する場合、エンジニアの方は、自分の専門外の領域を担当するエンジニア、あるいはマーケティング担当者、お金の担当者と話し合ったり、交渉したり、時には喧嘩をしなければならない。そのときに、共通言語というか、お互いの意思疎通を図るためのインタフェースを各自が持っていないと、チームはチームとして機能しない。「これからのエンジニアは経営やマーケティングも知らなくちゃダメだね」という指摘が、チーム内のコミュニケーション向上を狙った発言であれば、正しいと思う。

 当然、エンジニアではない人もまた、インタフェースを持つ必要がある。「これからの経営者やマーケティング担当者はテクノロジーも知らなくちゃダメだね」ということだ。言うまでもないが、「テクノロジーを知る」とは、研究室で実験をしたり、コンピュータプログラムをかくことではない。

強烈な自己本位の姿勢

 しかし現実には、「テクノロジーも知らなくちゃダメ」なはずの経営者がその取り組みを放棄し、なぜかエンジニアに対してだけ「経営やマーケティングも知らなくちゃダメだね」という場合がある。これは読者の指摘する通りであろう。

 この点について筆者が感じるのは、他人を恃む風潮、問題の所在あるいは解決策を外に求める風潮である。「うちの技術者はビジネスを知らない」とぼやく経営者、「うちの経営者は技術者を理解しない」とぼやく技術者、ともに美しい絵ではない。読者からものを投げられないように書いておくと、水に落ちた犬を叩くことに血道をあげるメディアもまた美しくない。

イラスト◎仲森智博
 筆者がダイソン氏の自伝を読んで感じたのは、強烈な自己本位の姿勢である。「誰がなんと言おうが、僕のアイデアは正しい」と信じて突き進み、横並びを嫌い、長いものに巻かれない姿勢は天晴れとしか言いようがない。経営者や技術者など他人のことを論じている場合ではなくなったので、自分のことを書いて終わるが、筆者はサラリーマン記者ではあるものの、横並びを避け、長いものに巻かれないようにしたいと思っている。

 最後は蛇足である。前回公開したコラムで、「筆者がたいへん好きな一節」を引用した。それについて、日経ビズテック編集長の仲森から、「ダイソン氏が正規のデザイナー教育を受けていることを書いておかないと面白さが半減するのではないか」と指摘された。まずその一節を再掲する。

 僕は取材に来たジャーナリストからこう言われたことがある。
 「ゴミが集まるところを透明にして、外にある廃棄物をことごとく見せつけるというのは、既成のデザインとは逆の発想ですね。これは、リチャード・ロジャーズが、建物のまさに心臓部である空調機器とエスカレーターをむき出しにしたポンピドウー・センターの設計で先駆けた、ポストモダニズムの建築スタイルに賛同するものなんでしょうか?」
 「いいえ、ゴミが一杯になったらわかるようにしただけです」

 ダイソン氏はもともとデザイナーであり、モダニズムとかポストモダニズムのことを熟知している。当然、リチャード・ロジャーズの仕事のことも知っていただろう。そのダイソン氏が、上記のように語っている点が面白いわけだ。筆者にとって編集長とは「長いもの」の一つなのだが、もっともな指摘と思ったので、巻かれてみた。

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