人型ロボットの競技会「DARPA Robotics Challenge」がニュースを賑わせたり、シリコンバレーでロボット関連のスタートアップが次々と誕生するなど、日本だけでなく米国も「ロボットブーム」に沸いている。
 これまでのロボットとは工場などで活躍する「産業ロボット」のことであり、自動車会社のような大企業でなければロボットは導入できなかった。それがこれからは、あらゆる会社や家庭にロボットが普及する。そんな期待が業界で高まっている。
 もっとも米国でロボットブームが起きるのは、今回が初めてではない。シリコンバレーでロボット販売会社の米Innovation Matrixを営む大永英明氏は、「米国で30年前に起きた前回のロボットブームの方が、業界の動きは激しかった」と振り返る。米国のロボット業界で40年を過ごしてきたベテランに、米国ロボット業界の歴史を聞いた。
(聞き手は、中田 敦=シリコンバレー支局)

―― ロボットがいよいよ一般の企業や家庭にも普及する。米国で取材をしていると、そういう声をよく聞くようになりました。

 私もそうなると期待しています。ただ、私のようにロボット業界に長くいる者としては「30年来の夢がようやく叶う」という思いの方が強いです。実は30年前の1980年代初めにも、今のような「ロボットブーム」が米国で起きていたからです。

写真●米Innovation Matrix Presidentの大永英明氏

 当時も今と同じように「これからはロボットの時代だ」と言うことで、米IBMや米General Electric(GE)、米Westinghouse Electricといった名だたる巨大企業が、ロボット業界に参入しました。ブームという点では、当時の方が盛り上がりは大きかったように思います。

 しかし、ロボットは結局、自動車工場での溶接ラインといった限られた分野でしか普及しませんでした。1980年代後半には各社とも次々ロボット産業から撤退し、ブームは終焉しました。

 1990年代以降にロボット業界の主役になったのは、ファナック、安川電機、川崎重工業、不二越といった日本の産業用ロボットメーカーです。今のロボット市場はほとんどが産業用ロボットで、そのシェアの大半を日本企業が占めています。

 しかし米国では今、ロボット産業をインターネット産業に次ぐ「アメリカ生まれ」の産業として盛り上げていこうという機運があります。インターネットによってあらゆる情報がユーザーの下にオンデマンドで届くようになった。次は、情報以外のものをユーザーの下にオンデマンドで届けられるようにしたい。そのための媒体がロボットだ、という発想です。

―― 30年前のロボットブームが花開かなかったのはなぜでしょうか。

 結局のところコンピュータの処理能力が低かったからです。

 米国でロボット産業が成立するようになったのは、1960~70年代のこと。ロボットアーム(マニピュレーター)の動作をメモリーに記録して、その通りに実行させる「プレイバック方式」のロボットが実現し、自動車工場などに産業用ロボットを導入できるようになりました。

当時のロボットには「インテリジェンス」が無かった

 1970年代当時は、ロボットごとに専用回路を開発していて、汎用のコンピュータを使ってロボットを制御するようなことは不可能でした。4ビットや8ビットのマイクロプロセッサは登場していましたが、処理性能が全く不足していたのです。