「なにやらすごい人が現れた」

 その実践例として、第一医科の場合を見てみよう。

 第一医科では現在、「難治性(なんちせい)メニエール病のめまい発作を無侵襲(むしんしゅう)的に軽減する医療機器」という開発テーマに取り組んでいる。具体的には、既存の医療機器の「鼓膜按摩(こまくあんま)器」をベースに、これまでにない「中耳(ちゅうじ)加圧治療器」を3年計画で開発しようという大プロジェクトだ。

治験を伴う開発テーマに取り組む第一医科(株)の林正晃社長。(写真撮影:根岸聰一郎)

 これまでにない医療機器を製造販売するためには、法律で定められた「治療の臨床試験」(「治験」)を行わなければならない。治験には、少なくとも1億円以上、数億円規模の費用がかかる。第一医科のように優れた技術を持ちながらも、売上が25億円規模のメーカーが、治験を伴う開発に挑戦したくとも容易にはできない理由が、ここにある。

 なんとか手立てはないものかと思案して林社長が着目したのが、経済産業省が平成22年度補正事業として発足させた「課題解決型医療機器等開発事業」(以下、課題解決型事業と略)である。事業公募の要項を見ると、機器開発関連経費だけではなく、臨床経費、治験経費、審査関連等経費などの医療機器開発に即した経費を支援すると記されていた。さらに事業実施期間を通じて、技術、知財、薬事および事業化にかかわるコンサルティングを受けることができ、中小企業技術革新制度による特許料減免措置などの各種支援措置もあるという。

 ぜひ公募したいと思い、同事業に詳しい人を紹介してほしいと取引銀行に依頼したところ、紹介されたのが「なにやらすごい人が現れた」という印象を林社長に抱かせた柏野さんだった。

 柏野さんは課題解決型事業の初代の事業管理支援法人として、前年度まで、同事業のスタートアップに携わるとともに「伴走(ばんそう)コンサルティング」という役割を担ってきた。

 パラリンピックのマラソン競技では視覚障害を持つランナーに健常者のランナーが互いの手をロープで結んで伴走してゴールまで走るが、それと同じように事業期間の最初から最後まで事業者に付き添い、事業の目的を遂げさせるのが、伴走コンサルティングの任務だ。先に課題解決型事業の特徴として「事業実施期間を通じて、技術、知財、薬事および事業化にかかわるコンサルティングを受けることができる」という支援措置を挙げたが、それは柏野さんのような伴走コンサルティングを指す。

 柏野さんは医療機器メーカーだけではなく、医療機器分野に新規参入をはかる地方のものづくり企業にも伴走者としてかかわり、1年間のうちに36件の開発プロジェクトの事業化促進に大きく寄与してきた。

「なにやらすごい人が現れた」という林社長の印象は、これまでの医療機器業界にはない希少価値を有する人物という意味では、正鵠(せいこく)を射(い)ている。

 なぜ、希少価値的存在なのか。

 それは、柏野さんがどんな体験を積み重ね、どんな知見を修得してきたのかを見ればわかる。

 1974年生まれで大阪・枚方(ひらかた)市で高校時代まで過ごす。クワガタムシとカブトムシを捕ることにかけては地元の誰にも負けないと誇っていた少年は、小学校低学年でファミコンに夢中になり、ゲームソフト会社ハドソン社の社員で「16連射の高橋名人」(高橋利幸)にあこがれる。彼の本を読んで、ゲームソフトを生み出すのはプログラマーという職種の人であることを知り、「ボンバーマン」などの生みの親として知られる伝説のプログラマー、中本伸一のようになりたいと願望し、大人になったらプログラミングを仕事にしたいと思うようになる。

 コンピュータに対して一連の動作を指示することをプログラムと呼び、それを記述するのがプログラミングだが、そのためには人工言語であるコンピュータ言語を覚えなければならない。

 初心者向けプログラミング言語として開発されたBASIC言語を中学生時代に身につけ、高校時代はそれを用いてアプリケーションの開発などを手がけ、筑波大学第三学群工学システム学類に進学する。

 第三学群は、工学を中心とする学際的な学問分野をもとに、問題発見・問題解決を志向する人材を育成する教育組織だ。そこで日々学ぶなかで「この世から決して不要とされることのない、社会的貢献度の高い分野に身を置きたい」との思いが強くなる。自分の将来のことも考慮しつつ絞り込んでいった結果、「それは医療機器の分野だ」とひらめいたという。

「大学3年生のときです。きわめて直接的に生命に近づける技術の世界ですからね。人間に生命があるかぎり、医療機器がこの世から消える日は来ないでしょう。そうと決まれば医療機器を扱う研究室に入ろうと、生体制御工学を専攻することになりました」