開発にも残心が必要ではあるまいか

 さて、残心という言葉、普段はあまり聞かないが、日本の武道および芸道の稽古で使われる用語で、残身や残芯と書くこともあるようだ。

 その字面(じづら)通りに解釈すれば、心が途切れないように意識的に残すことで、先に書いたように技を終えた後、力を抜いたりせずに次の準備をしている状態であり、余韻を残すといった、日本独自の美学や禅と関連する文化的な概念でもあるようだ。

 そして、この残心という概念は多分、日本だけのことではないかと思うのであるが、その裏の意味には、だらしなくしないことや気を抜かないこと、そして、卑怯ではないことも含まれているのではないかと思う。

 そしてそれは、正しく美しいことを継続するという意志と、相手を慮(おもんばか)る優しい気持ちがあるのではなかろうか。

 もっと言えば、相手に卑怯なことをせず、驕らず、高ぶらず、為合う(しあう・物事を互いにすること)相手に感謝することなのである。

 私が開発に残心が必要だと思うようになったのは、残心にはこのような意味があるからである。

 開発とは新しい事業や商品を創造することであるが、進める中で、周囲には実に様々な人(相手)がいる。会社の同僚もいれば上司もいるし、一番肝心な顧客、そして協力してくれる企業やその社員の方々だ。開発の主体、中心はあくまで自社ではあるが、実に多くの相手がいて、その人達と為合うのである。

 そこで、開発にも残心が必要ではないかと思うようになったのである。

 私は、剣道の稽古で残心を心掛ける時、次のように教えられた。

 どんなにヘタな相手(私の師は「下手・したて」の相手と言った)でも、その相手がいるからこちらの稽古(技術)も上達することができるのである。だから、その相手に感謝しなければいけない。師はこれを「下に学ぶ」と言ったのである。

 時には、下手の相手から思いがけない技を出された時など、そのことによって、こちらが新しい技を学べたり、驕りを捨てて初心に帰ったりすることができるわけで、それは、上も下もない、相互扶助的な稽古であると教えられた。それが、残心の理念である。