「うちには学者さんも来られるで。何年か前も冶金か何かの教授が学生さんをぎょうさん引き連れて来て、何や知らんけどいろいろやってはったわ。センサーやらたくさん仕掛けてな。そのあと興奮して電話が掛かってきてな、『理論値を超えました』とか言うわけや。そんなん知らんわな、こっちは親方に習った通り普通にやっとるだけやしな」

 テクノロジーオンラインでの連載『技のココロ』の取材で、刀工の河内國平氏をお訪ねした際に伺った話です。

 そもそもこの連載は、衰微の一途をたどる職人の「手仕事」を記録に残しておきたいとの思いから始めたものでした。この手仕事ということに関して日本は、世界でも稀有な場所であるといえるでしょう。一般に、工業化が進めば手仕事は廃れていく。日本も例外ではなく、工業化の過程で手仕事はずいぶん減っていきました。しかしながら、「欧米ではほぼ絶滅した」と思われる分野においても、日本では珠玉のような手仕事が、今日まで健全に生き残っています。理由はいろいろあるでしょうが、一つとして手仕事の質の高さがあることは間違いないでしょう。要するに「工業的な手法を使うよりよほど優れたものができる」という作り手の卓越した技量があったということで、冒頭の話はそのことを確信させる証拠の一つといえます。

 ただもはや、そのような技は「生き残っていた」というべきなのかもしれません。なるほど今でも、工業製品では到底到達し得ない高みにある手工芸品は多くあります。けれども、工業製品はどんどん機能を高め、かつどんどん安くなっていきます。その一方で手工芸品は、人件費の上昇や後継不足などの問題を抱え、逆の方向をたどりかねない。そうして、時間が経過すればするほど手工芸品はどんどん不利になっていくのです。後世の人は、今この時間帯を「職人の卓越した手仕事が生き残っていた最後の時代だった」と振り返ることになるのかもしれません。