最近、思わずうなってしまったことがある。うなった理由は、素晴らしい裁きだったからだ。裁きと言って、何も誰かが悪いことをして、その裁判をした訳ではない。事の理非(理に適うかそうでないか)をズバリと明らかにした、その采配にうなったのである。そして私は、開発にも大岡裁きがあると知ったのだ。

 その大岡裁きを説明しよう。

 あるメーカー(A社)で使っている加工機、その機械が、どうも精度が出なくて困っていた。そこで、全く別の業界の部品メーカー(B社)の社長に見てもらうことにしたのである。

 この社長は、ものづくりの精度を上げることに長けていて、使う機械装置は汎用品だが、新品を買って肝心な部分をアレンジして使うという、機械加工の神様みたいな人である。同じ機械を使う同業他社が、何であんなに高精度の部品が出来るのかと不思議に思うほど、自社製品の精度を上げることによって、抜群の競争力を保持しているカリスマともいえる経営者だ。

 実は、私には別の思惑もあった。B社のものづくりの技術をA社に導入して、A社の製品の精度を上げようと考えたのである。上手く行けば、B社に汎用機をアレンジしてもらい、専用機を作ってもらえたら有難い。そんなことも考えていたのである。

 だから、A社の設備をB社の社長に見てもらった上で、A社の製品の精度を向上させるために、機械装置の製作も含めて提案して欲しいと考えたのである。A社は業績もよいので、競争力強化のための投資には貪欲であるから、B社にとっても大きなビジネスチャンスになれば幸いだ。