加藤 先日、手術していただき、入院して感じたのですが、野中さんは忙しいはずなのにいつも本当に明るいですよね。チームの若手からもすごく慕われていて。でも、チームは単なる仲よしクラブではない。実は、入院中にチームの若手医師にこっそり野中さんについて聞いたんです。そしたら、「あの人は信じられないくらい努力していますよ」と。
今回は、医療に携わる“技術者”としての野中さんに、現場で発揮するリーダーシップや、新しい思考や発想の原点を聞いてみたいと思ったんです。
野中 なるほど。でも、本当に私でいいんですか(笑)。
加藤 もちろんです。まずは、生い立ちから教えていただけますか。
野中 熊本県の植木町というところで生まれました。今は、町村合併で熊本市に編入されたと思うんですが、昆虫を捕ったり、魚釣りをしたりという田舎で、西南戦争で最大の激戦地だった田原坂がある町です。
加藤 そこで育ったと。
野中 そうです。小学校6年生まで。その後、姉が受験で熊本市内の中学校に入ったので家族で引っ越して、市内の中学校に入学しました。
加藤 小学生のときは、どんな子供だったんですか。のどかな場所ですくすくと育ったんじゃないですか。
野中 すくすくと育ったんですけど、親に言わせると、最近は存在しないようなガキ大将だったそうです。登下校のときは10人以上、子分を引き連れて…。
加藤 へぇ~! でも、今の病院での巡回とあまり変わらないですね(笑)。
野中 そうですかね…(笑)。当時は、ケンカで勝たないとボスにはなれないわけです。自分より背が高い子供もたくさんいましたけれど、1番と認められたんだと思います。中学生が「野中を出せ!」と自宅に押し掛けてきたり…。
加藤 正義の味方で、いじめられていた子を助けていたという感じですか。
野中 そういうかっこいいものではないです。本当に、因縁を付けられてケンカするような。
加藤 田舎ではボスだったんですね。
野中 小学校のクラス担任が女子ばかりひいきするので、男子全員で授業をボイコットしたりとか。冗談ではなく、小学校の教頭先生や校長先生が、毎週のように家庭訪問に来ていました。
加藤 それは、別の角度から言えば、リーダーシップがあったということですね。相当な体育会系だったわけだ(笑)。