前々回前回に続き、華麗なる技術者、野中康一医師を紹介する。今回から2回にわたり、コラム筆者の加藤幹之氏と野中氏の対談をお届けする。野中氏は、NTT東日本関東病院 消化器内科の医師として、若くして内視鏡による診断や手術で世界的な成果を上げている人物である。今回は、同氏の生い立ちや内視鏡との出合いに迫る。

加藤 先日、手術していただき、入院して感じたのですが、野中さんは忙しいはずなのにいつも本当に明るいですよね。チームの若手からもすごく慕われていて。でも、チームは単なる仲よしクラブではない。実は、入院中にチームの若手医師にこっそり野中さんについて聞いたんです。そしたら、「あの人は信じられないくらい努力していますよ」と。

 今回は、医療に携わる“技術者”としての野中さんに、現場で発揮するリーダーシップや、新しい思考や発想の原点を聞いてみたいと思ったんです。

野中 康一(のなか こういち)氏。1976年熊本生まれ。NTT東日本関東病院 消化器内科 医師。医学博士。2002年3月に島根医科大学医学部を卒業後、熊本大学医学部付属病院 第一内科(消化器内科)入局。2007年10月に埼玉医科大学国際医療センター 消化器内科 助教。2010年7月に熊本大学医学部附属病院 消化器内科に戻り、その後、再び埼玉医科大学国際医療センターを経て、2013年4月から現職。(写真:加藤 康)
[画像のクリックで拡大表示]

野中 なるほど。でも、本当に私でいいんですか(笑)。

加藤 もちろんです。まずは、生い立ちから教えていただけますか。

野中 熊本県の植木町というところで生まれました。今は、町村合併で熊本市に編入されたと思うんですが、昆虫を捕ったり、魚釣りをしたりという田舎で、西南戦争で最大の激戦地だった田原坂がある町です。

加藤 そこで育ったと。

野中 そうです。小学校6年生まで。その後、姉が受験で熊本市内の中学校に入ったので家族で引っ越して、市内の中学校に入学しました。

加藤 小学生のときは、どんな子供だったんですか。のどかな場所ですくすくと育ったんじゃないですか。

野中 すくすくと育ったんですけど、親に言わせると、最近は存在しないようなガキ大将だったそうです。登下校のときは10人以上、子分を引き連れて…。

加藤 へぇ~! でも、今の病院での巡回とあまり変わらないですね(笑)。

野中 そうですかね…(笑)。当時は、ケンカで勝たないとボスにはなれないわけです。自分より背が高い子供もたくさんいましたけれど、1番と認められたんだと思います。中学生が「野中を出せ!」と自宅に押し掛けてきたり…。

加藤 正義の味方で、いじめられていた子を助けていたという感じですか。

野中 そういうかっこいいものではないです。本当に、因縁を付けられてケンカするような。

加藤 田舎ではボスだったんですね。

野中 小学校のクラス担任が女子ばかりひいきするので、男子全員で授業をボイコットしたりとか。冗談ではなく、小学校の教頭先生や校長先生が、毎週のように家庭訪問に来ていました。

加藤 それは、別の角度から言えば、リーダーシップがあったということですね。相当な体育会系だったわけだ(笑)。