「Jリーグのチームでも、つくろうか」
ちょっとした冗談のつもりだった。ところが、世の中は何が起きるか分からない。2006年、JR相模原駅前の小料理屋。この言葉を耳にした店の若大将が、座敷に土下座をするのではないかという勢いでこう言った。
「お願いします。相模原にチームをつくってください」
その日は、元サッカー日本代表の望月重良と、私の知人と一緒に、高校サッカーで汗を流す知人の息子を励ます食事会だった。
若大将は真顔で言う。
「相模原は娯楽が少ない。これから政令指定都市になります。今、スタジアムも建設中です。ぜひ、サッカーで相模原を盛り上げてください」
帰宅して調べてみると、確かにスタジアムを建設中だった。その後、望月と「どうやったら、ゼロからJリーグのチームをつくれるか」を真剣に検討し始めた。それが現在、望月が代表を務めている「スポーツクラブ相模原(SC相模原)」を立ち上げるキッカケだった。
もちろん、サッカークラブを立ち上げようという考えに至る布石はあった。知り合いのプロラグビー選手にこんな話を聞いていた。
「スポーツ選手は人生を懸けて選手生活を送っているけれど、引退したらその先の補償はない」
確かにそうである。引退後に、指導者や解説者など競技の周辺の仕事で食べていける選手は、ほんのひと握りでしかない。小料理屋での出来事は、この話を聞き、アスリートの役に立てる仕事ができないかと考えていた矢先だった。
これは運命。そう思った。まず、「Jリーグのチームをつくる方法」を聞くために、「104」で調べてJリーグに電話を掛けた。「とりあえず、県のサッカー協会にあいさつに行ってください。クラブの法人化も必須です…」などなどと担当者は説明してくれた。たまたま、当時の神奈川県のサッカー協会会長は望月が選手時代の監督で、あいさつは無事に済み、株式会社としてクラブを法人化する手続きも済ませた。
次はチームとしての勝利が求められる。SC相模原は、神奈川県の社会人リーグ3部から一つひとつ階段を上がる道を選んだ。既に存在する強いクラブと組んで、相模原のチームとしてJリーグ加入を目指す裏技もある。