スポーツクラブ相模原が運営するサッカーチーム「SC相模原」は、2014年に「J3リーグ」参加を成し遂げた。クラブ発足から6年、史上最速のJリーグ加入だった。同社の白岩氏は、クラブ運営をその立ち上げから実務面で支えてきた人物だ。県の社会人リーグ最下部からスタートしたクラブは、なぜ史上最速のJリーグ加入を実現できたのか。

「Jリーグのチームでも、つくろうか」

 ちょっとした冗談のつもりだった。ところが、世の中は何が起きるか分からない。2006年、JR相模原駅前の小料理屋。この言葉を耳にした店の若大将が、座敷に土下座をするのではないかという勢いでこう言った。

「お願いします。相模原にチームをつくってください」

 その日は、元サッカー日本代表の望月重良と、私の知人と一緒に、高校サッカーで汗を流す知人の息子を励ます食事会だった。

 若大将は真顔で言う。

「相模原は娯楽が少ない。これから政令指定都市になります。今、スタジアムも建設中です。ぜひ、サッカーで相模原を盛り上げてください」

白岩 貢(しらいわ・みつぐ)氏(写真:加藤 康)
白岩 貢(しらいわ・みつぐ)氏(写真:加藤 康)
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 帰宅して調べてみると、確かにスタジアムを建設中だった。その後、望月と「どうやったら、ゼロからJリーグのチームをつくれるか」を真剣に検討し始めた。それが現在、望月が代表を務めている「スポーツクラブ相模原(SC相模原)」を立ち上げるキッカケだった。

 もちろん、サッカークラブを立ち上げようという考えに至る布石はあった。知り合いのプロラグビー選手にこんな話を聞いていた。

「スポーツ選手は人生を懸けて選手生活を送っているけれど、引退したらその先の補償はない」

 確かにそうである。引退後に、指導者や解説者など競技の周辺の仕事で食べていける選手は、ほんのひと握りでしかない。小料理屋での出来事は、この話を聞き、アスリートの役に立てる仕事ができないかと考えていた矢先だった。

 これは運命。そう思った。まず、「Jリーグのチームをつくる方法」を聞くために、「104」で調べてJリーグに電話を掛けた。「とりあえず、県のサッカー協会にあいさつに行ってください。クラブの法人化も必須です…」などなどと担当者は説明してくれた。たまたま、当時の神奈川県のサッカー協会会長は望月が選手時代の監督で、あいさつは無事に済み、株式会社としてクラブを法人化する手続きも済ませた。

 次はチームとしての勝利が求められる。SC相模原は、神奈川県の社会人リーグ3部から一つひとつ階段を上がる道を選んだ。既に存在する強いクラブと組んで、相模原のチームとしてJリーグ加入を目指す裏技もある。