人工知能と人間を隔てる壁が崩れた

 ところが、最近の人工知能技術のブレークスルーによってその妄想がある意味復活してきました。復活のきっかけになったのは、以前は文字認識の研究者で現在は“未来学者”のRaymond Kurzweil氏の「2045年に技術的特異点がやってくる」という予測でしょう。2045年に人工知能の思考能力が人間を超え、人間がそれ以後の将来を予測することができなくなるという説です。

 これが以前の妄想と異なるのは、人類史における技術の発展をある程度定量的に評価した上での予測であることでしょうか。研究の最前線にいる者の視点とは対極ともいえる、技術史全体を見通す視点です。それでもでたらめな予測であれば、Hawking氏など第一線の研究者多数が大筋で賛同することはないでしょう。人工知能の最近のブレークスルーがこれまでコンピューターと人間の脳の機能を分け隔てていた壁を初めて壊したという理解が広がりつつあることも背景にあるかもしれません。

 ごく最近まで、コンピューターは人間が手で書いた崩し文字を読み取ることができませんでした。ディープラーニングなどの人工知能技術はその壁を一気に越えようとしています。つい2カ月ほど前まで、画像向けディープラーニング技術である「畳み込みニューラルネットワーク(CNN)」では、個別の物体認識ができるだけでその映像全体の意味は分からないとされていました。ところが、2015年5月に米Massachusetts Institute of Technology(MIT)の研究者は、CNNを拡張し、その画像がどういった状況を写したものなのかを判定する「シーン認識」に成功したと発表しました(関連記事)。ディープラーニングがまた一段、階段を上ったのです。

 ディープラーニング以外の人工知能技術でも、昨日できなかったことが今日はできるようになったというニュースを頻繁に耳にします。IBM社は、同社のWatsonを一部のがん診断などに適用し、2014年春時点で「近い将来、世界で最も優れた医者になるかもしれない」と発表しました。Watsonは、医学に限らず、整備された知識データベースが用意されている特定の専門分野では非常に強みを発揮するコンピューター。料理のレシピを創造する「Chef Watson」もできました。各種の専門分野で「○○Watson」が次々と生まれつつあるのです。Watson以外でも既に、人工知能による“金融記者”や“スポーツ記者”などが登場したようです。

 今のところはこれらはまだ、タコツボ的に細分化された分野の“専門家”に過ぎません。IBM社は各種の“専門家”ができたその先も既に考えているようです。複数の“専門家”同士が連携して、より幅広い分野を踏まえた“判断”が得られるようにすることです。

 現時点でこれが難しいのは、各専門分野の知識データベースに共通のフォーマットがなく、専門分野を超えてデータベースを一元的に見通す手段が見つかりにくいためです。いわば、「専門の壁」で、専門用語はもちろん、一見、一般用語と思われるような言葉でも全く違う意味で使われていることも少なくありません。明文化されない“暗黙知”も立ちはだかります。それらを越えるのは人間でも容易ではありません。それでも、IBM社はその困難に正面から取り組んでいます。それらの困難が解決して「専門の壁」が崩れ始めれば、知識やそれを基にした判断力で人工知能に対抗できる人間はかなり少なくなるでしょう。