①高い把持力(はじりょく)を持つこと。②スリップアウトしない筋目を備えていること。③血管が挫滅(ざめつ)しないこと。④ブレード(クリップが開いて挟み込む部分)は細いこと。⑤それでいて大きく開くこと。⑥脳内に永久留置できる耐久性があること。⑦それとともに耐蝕性があり、無害金属であること。⑧全体に小さいこと。⑨反転しないこと。

 これら9項目は、常識的な知識からすれば相反する要求が含まれているといえる。

 バネの力を生かしてしっかりとものをつかむという基本的機能の点では、挟む対象物が血管と文書類の違いはあるが、脳動脈瘤で用いられるクリップも文房具のダブルクリップも同じである。ものをしっかりつかむ力、すなわち把持力を高めようとすれば、必然的にクリップの形も全体に大きくなる。文房具のダブルクリップでも、大きいものほど把持力は高い。また、高い把持力を持つクリップを血管のようにまるくすべりやすい形状のものに挟み込めば、留めた箇所からずれるスリップアウト現象が生じたり、くるっと反転してしまう現象が起こりやすくなるのも、これまた常識である。そのうえ血管は拍動しているので、なおさらこうした現象が生じやすい。

 ところが、要求されているのは、高い把持力を持ちながらも、全体に小さく、それでいてずれることもなく、反転もしない性能を持つものだ。「全体に小さく」といっても、並の小ささではない。クリップが開いて挟み込む部分であるブレード(把持部)の直径が1.0ミリから1.4ミリ、全長で15ミリほどのサイズである。そのうえ、ブレードを細くして、なお大きく開くようにしろというのだから、素人考えでもまさに「無理難題」に等しいハードルの高さであることは推察できる。

 脳内永久留置ができるための3条件、すなわち耐久性・耐蝕性・無害金属であらねばならないという条件を満たすことは、従来のステンレス系のクリップ材料とはまったく異なる新しい材料を発見せよということを意味していた。井上ら開発チームは、大同特殊鋼に在籍していた石川英次郎の協力を得て、鉄系ではない非鉄系の金属材料に目を向け、さんざん探し回ったあげくにたどり着いたのが、非鉄系のコバルトクロームを主成分とする合金、商品名エルジロイである。