荒川 その会社の社長が先見の明がある人でしてね。当時は、まだオフコン(オフィスコンピューター)の時代だったんですが、「これからはパソコンの時代になる」と。「だから、パソコンベースでラジオ局向けのシステムを開発しよう。ついては荒川くん、大阪で修行してきなさい」ということでシステム開発に携わることになったんです。全くコンピューターの知識はなかったんですけど。
修行から戻って、1年、2年でシステム開発をしました。そのシステムは、まだ地元のFM局で使われています。それで、せっかくつくったのだから全国展開していこうという話になった。「自分でもこんな大きいシステムがつくれるんや」と思ったら楽しくなって。
三反田 へぇ。ゼロから勉強したんですか。でも、なぜ起業することになったんですか。
荒川 たまたま実家に帰って「こんなシステムをつくった」という話をしたら、それが母親の知り合いの耳にとまって、「うちのシステムもつくってよ」と相談されたんです。それだったら、自分で会社をつくっても何とかなるんじゃないかと。
実は、福井県は個人事業主も含めて独立する人が日本でも一番多い県なんだそうです。もちろん、勤めていた会社の中で大口の顧客相手にシステム開発をしていくという選択肢もあったんですけれど、地元の人たちに密着してシステム開発で貢献していきたいと思い始めたんですね。
そこで、社長に相談しまして。「開発したシステムを全国展開していくよりも、地元企業を支援する仕事がしたい。だから、辞めさせてください」と。普通に考えると「ふざけるな」という話ですよね。修行させて大きなシステムを開発して、これからというときですから。「何、ゆうてんねん」となりますよ。でもね、その社長は「いいよ」と快く送り出してくれたんです。
三反田 器の大きい人ですね。
荒川 本当にね。すごいなと思った。「分かった。その代わり、地元重視の仕事で、みんなに知ってもらえるような人になれよ」と言われました。当時、僕は25歳でした。