「ソニー流」を取り戻せ!

 とは言え、「企業の本質は、ビジネスマンという人間の集まり」も、「ビジネスの本質は、顧客価値を生むこと」も、いわゆる「当たり前」のことに違いない。

 そうなのだ。本質とは、概して「当たり前」のことでしかない。なのに、事物の本質を見極めることは、極めて難しい。また、誰かが見極めた本質を単に知ることは容易だし、それだけで理解した気になる人も多いのだが、実のところ、誰かが見極めた本質が本質であると理解することも、理解した本質に忠実であること(忠実に考えたり行動したりすること)も、極めて難しい。つまり、それが本質である場合、世に言う「当たり前のことを、当たり前のこととして、当たり前に行うことは、極めて難しい」は、正しい。

 だから、事物の本質を見極めること、本質が本質であると理解すること、本質に忠実であることを、まとめて「本質に迫る」こととするならば、本質に迫ることができない企業が普通であり、迫ることができる企業は、普通ではない。

 また、前回も述べたように、本質とは、事物の普遍的な特徴であり、「それは何か」という問いに対する答え(=○○という普遍的な特徴を持つもの)でもある。だから、本質に迫ることができる企業は、企業を取り巻く環境、地域、投資家、顧客、また、自らのビジョン、戦略、オペレーション、従業員、商品、商品価値、さらには競合他社のそれらなど、ビジネスに関連する社会的な現実に迫ることができる企業なのだ。

 そして、自然界では、自然の事物の本質に迫る力(自然科学)を持ち、自然界の現実に迫ることができる人類が生存競争に勝つように、ビジネス界では、社会の事物の本質に迫る力を持ち、ビジネス界の現実に迫ることができる企業が生存競争に勝つ。

 ただし、本質は「当たり前」のことでしかなくても、本質に準じた考えは、そうでもない。例えば、これまで見てきた、人間の集まりという企業の本質に準じた「投資家は企業の所有者ではない」との考えは、世の中の常識に反するものである。「夢のある事業をやらねばならない」との考えも、多くの「夢じゃ食えない」派には非現実的なものと映るに違いない(実は、逆に現実的なのだが)。

 また、顧客価値を生むことというビジネスの本質に準じた「全体最適は、ステークホルダー全体の最適であり、顧客価値が最大化されている状態」との考えは、「部分最適」を重んじる世の中の多数派には共感しづらいものであるはずだ(ゆえに「全体最適」を重んじる「出る杭」が打たれることになる)。

 だから、本質に迫ることができる普通でない企業は、しばしば、決して奇をてらうわけではなく自ずと「人(本質に迫ることができない普通の企業)がやらないことをやる」ことになる。

 そして、かつてのソニーは、「ソニー流」と呼ばれる「何事にも本質を求めてやまない流儀」を持つ、本質に迫ることができる普通でない企業の典型であった。だからこそ、ソニーは、「人がやらないことをやる」ことになり、それがまた徹底的なものであったから、奇跡と言われ、神話ともされた大成長を遂げた。近年の本質に迫ることができる企業であるグーグルやアップルが大成長を遂げているように。

 ならば、である。ソニーは、「ソニー流」を取り戻せばいい。そうすれば、再び「出る杭」を求めて「全体最適」を重んじるようにもなる。株主視点重視の経営のような、本質から乖離した流行りものの経営手法に依存することもなくなるだろう。自らもワクワクしながら世界をワクワクさせて、「規模を追わない収益性重視の経営」もうまく行く。仕組みや手法の導入だって奏功する。

 要するに、ソニーは、「昔」ではなく、「本質」に回帰すればいい。普遍的な本質に準じる経営は、普遍的に正しいもの、つまり、いつの時代でも正しいものであるのだから。