「ちょっと見てくれや。こんなもん、できんかなぁ」

「ホー、なにに使われるんですか、これ?」

「脳動脈瘤の手術に使用したいんや」

 東海地方の営業のため東京から名古屋大学医学部附属病院(以下、名大病院と略)を訪れた瑞穂医科工業(以下、ミズホと略)の綿引昭二は、頭髪などにかまう暇はないといったボサボサ髪をした脳外科の医師、杉田虔一郎(けんいちろう)から、針金を曲げたクリップ状のものを差し出された。

見たこともないクリップを使っての絶妙な手技

「ひとつ、挑戦してみますか」

 こう返事をしたのは、なにも特別にこれはいけると感じたからではない。現在、ミズホで取締役生販管理部長の職にある綿引が杉田からそれを見せられたのは、1972年秋ごろ、営業職に就いて8年目に入った31歳のときである。当時は現在のように全国各地に営業センターはなく、毎月、東京から2週間ほど出張して地方の営業に回っていた。東海地方の営業では、高度先進医療施設である名大病院は最重要訪問先であった。

 一方、杉田は1932年10月に名古屋の著名な眼科医、杉田余三の四男として生まれ、57年名古屋大学医学部を卒業し、1年間のインターンを経て、名大第一外科(橋本義雄教授)に入局した。その歓迎会の席上、並み居る先輩を前にして、杉田はこう挨拶した。

「先生方はただ年が上だというだけで先輩風を吹かせてもらっては困ります。先輩としてちゃんと学問を教えてくださる人だけを、私は尊敬します」

杉田クリップの生みの親・杉田虔一郎医師

 これはエライ奴が入ってきた、と先輩たちから厳しくシゴかれる。が、よくそれに耐え、60年から約3年間、当時世界の脳神経外科の錚々(そうそう) たるメンバーが集まっていた西ドイツのフライブルク大学に送られ、リーへルト教授のもとで脳神経外科手術、とくに定位脳手術の研究に打ち込む。63年に帰国し、以後、名大病院でパーキンソン病、頑痛症、動脈瘤などの手術に没頭していた。綿引と会ったのは、40歳になったばかりのころだ。