五泉工場で開発への取り組みが始まると、多忙な身にもかかわらず杉田はいくたびも工場に足を運んで、見る間に現場の人間との間に打ち解けた関係をつくり上げていった。杉田は決して現場の人たちに上からものをいうといった態度はとらなかった。工場を訪れた杉田の言動からは、自分たちが欲し いものをつくってもらうのだという、ものづくりに携わる人への敬意のようなものが感じられた。

 星には杉田の名前を聞くといくつもの思い出す光景があるが、そのなかでもひときわ印象に残っている場面がある。

 それは、休日をつぶして工場を訪れた杉田が、工作機械が並ぶ開発現場に入り込んで、星たちの作業を日がな1日じっと見つめている姿だ。部長の井上をはじめ星たち開発スタッフも試行錯誤のトンネルから抜け出せず八方ふさがりの状況で、全員が休日にもかかわらず出勤していた。失敗作ばかりが
たまっていく様子を見つめていた杉田が、「ちょっと一本ちょうだいな」と声をかけ、試作品のクリップを1つもらう。それにヤスリをかけて削ったり、切断機で短くしたりして、みずからも工夫と試作に没頭する。工場でのその姿をはたから見たら、権威ある医師というより、よそから派遣された臨時工のように映っただろう。

 食事の時間が近づくと、先生にはおいしいものを食べていただかねばと、周囲のものが気を使う。それを察知して杉田が大声でいう。「気遣い無用、 気遣い無用、わしゃラーメンでいい」。車座になって皆一緒にラーメンをすすりながら、ああしたらいい、こうしたらいい、といった議論が杉田を含めて交わされる。

 杉田は開発現場の人たちと「融和」はしたが「妥協」はしなかった。

 星の表現によると、「医療の場での要求と医学上必要な知識を伝えるのは私の役目、それを実際につくるのはあんさんたちの役目」と、その一線ははっきりと引いていた。

 互いの関係は上下関係ではなく、「分業」関係である、という意識を杉田は明確に持っていた。それゆえに、互いに領域こそ違え、医療の向上をめざすプロフェッショナル同士であることには変わりがないとの立場で、プロがプロに要求するという厳しい立場を崩す姿勢は微塵も見せなかった。開発スタッフが苦闘している姿をまのあたりにしても、いささかでも要求水準を引き下げるようなことはなく、改良のうえにさらなる改良を求めて、最高の完成度に到達するまで妥協の余地は一切示さなかった。

 いまでも星の耳に残る、杉田が工場に来てつねづね口にしていた言葉が3つある。

「どんなヘボな医者が手術しても、同じようにうまくいくモノをつくってほしい」

「私のためにつくるんじゃない。患者のためにつくるんだ。医者が助かるんじゃない。患者が助かるのだ」

 もう1つ、とくに星たち開発スタッフに向けられた言葉がある。

「世界に先駆ける器械を日本で開発すべきだ」