展示ブースに殺到した世界の脳外科医

 当時、脳動脈瘤クリップといえば、アメリカメーカーのハイフェッツクリップを指すほどハイフェッツの全盛時代で、世界的に高いシェアを誇ってい た。そのほかにもイギリス製のスコービルクリップなどもあったが、いずれも欧米メーカーの限られた製品しかなかった。しかし、これらのクリップに は、脳外科医を悩ます共通する性質があった。

 第1は、挟み込む力、つまり把持力(はじりよく)が弱く、クリップの位置が当初挟んだ位置からずれてしまうスリップアウトといわれる現象が生じる。第2は、クリップの閉鎖圧がばらばらで、ブレード(脳動脈瘤のネックを挟む部分。把持部)の幅も広く、そのためクリッピング作業そのものがひじょうにむずかしい。第3に、耐久性と耐蝕性が十分でない。第4に、ときとしてクリップが反転してしまう。

 こうした欠点を持ちながらも、ハイフェッツクリップが全盛だったのは、当時においてはそれが最高レベルの器具であったからだ。

 ところが、杉田が手術実技で用いたクリップは、従来のクリップが持つ欠点をすべて克服し、これまでの製品の水準をはるかに超えるものだという。 その新型クリップは、日本の「ミズホ」というメーカーとの共同で開発された製品であることを、杉田はクリップの構造を解説しながら紹介した。そして、新型クリップを実際に見たければ、ミズホが日本から来て学会の会場施設内にブースを設け展示している旨、言い添えた。

 ミズホにとっては、この81年世界脳神経外科学会での展示ブースの開催が、海外における「杉田クリップ」の初めての販売活動であった。現社長の根本喬は当時営業部長だったが、ミュンヘンに乗り込んでみずから陣頭指揮にあたっていた。

 日本ではすでに76年に販売を開始し好評を博していたが、欧米の強力なメーカーが軒並み展示ブースを構え、自社製品の展示販売にしのぎを削って いるなかで、はたしてどこまで日本製の器具が世界に通用するのか、不安と期待が入り混じった気持ちで、スタンダードタイプ、ラージタイプ、窓付き タイプなど各種の「杉田クリップ」をブースに並べていた。

 会議が終了し、参加者たちが発表会場から出てきたとき、ミズホの展示ブースの面々は信じられない光景に直面する。会議に参加していた各国の脳外科医たちが先を争うようにミズホの展示ブースに殺到したのだ。即売用に持ち込んでいた「杉田クリップ」はたちまちのうちに完売、展示用のものも、頼むからこの場で現金で売ってくれと要求され、跡形もなく消え去った。

 後に残ったのは、ミュンヘンからの帰路、持ち帰る商品は1点もなく、代わりに根本の上着、ズボン、ワイシャツのポケットは外貨があふれてはちきれんばかりであったというエピソードである。