世界で最も低い
新生児死亡率の実現に寄与

2013年アトムメディカルは創立75周年、松原社長は社長就任30年を迎える。
写真:アトムメディカル

 いまは何事も地球規模でグローバル化される時代だ。保健衛生に関する分野も例外ではない。新型インフルエンザが地球のどこかの地域で発生し流行する兆しがあると、世界保健機関(WHO)がいち早く警告を発する。

 WHOは「すべての人々が可能な最高の健康水準に到達すること」を目的として設立された国連の専門機関だ。現在、加盟国・地域は193に上るが、日本が加盟したのは1951年。加盟して真っ先にWHOから指導を受けたのは「新生児死亡率の低減」である。

 日本は戦後ベビーブームを迎え、多くの新生児が誕生したが、生後4週間以内に亡くなる新生児死亡率も高かった。WHOに加盟した1951年の時点で、出生1000人に対して死亡27.5人と非常に高い数値を示していた。ちなみに現在、バングラデシュやハイチなどがこの数値にある。

 その要因の一つに、保育器が十分に普及していなかったことが挙げられる。

 保育器といえば外国からの輸入品で、大学病院や高級な病院でなければなかなか購入できない高価格製品であった。国産の保育器といえば、昔ながらの木製の箱状のもので、保育器で最も大切な体温調整などの精密機能では大きく劣っていた。りんご箱に湯たんぽを入れて保育器の代わりにしている産院も少なからずあった。

 こうした状況を改善すべく、WHOからの提起に応えて近代的な国産保育器の開発に取り組んだのがアトムメディカルであり、1952年に「国産初の近代的保育器」として「N‐52アトム保育器」が開発された。

 千葉県印西市にある医科器械歴史資料館には日本の医療の進歩を支えた器械が大切に保存されているが、そこに展示されている木製保育器と比べると、その「近代性」は画期的である。

 妊娠22週から出生後7日までの期間を周産期といい、この時期の母体・胎児・新生児を総合的に管理して母と子の健康を守るのが周産期医療だ。

 五つ子プロジェクトチームのリーダーを務めた外西医師は五つ子たちの分娩・保育に携わった記録としてみずからの日記を公開して『五つ子くん』 (芙蓉書房)という本を著しているが、その副題には「その神秘な誕生と周産期医学」とある。前述した日記の記述もそこからの引用だ。

 今日では、周産期医学・医療の進歩に伴い日本における新生児死亡率は著しく減少し、2009年時点で1.2人と、世界でいちばん低くなっている。そのかげには、To Save a Tiny Baby Life―「小さな生命(いのち)を救うために」というテーマを掲げ、周産期医療分野に特化して製品開発に力を注いできたアトムメディカルの存在がある。種々の製品のなかでも、20を超える新機種を生み出し、10世代以上ものモデルチェンジを経るなど改良に改良を重ね、日本の周産期医療の現場をサポートしてきた「アトム保育器」の功績は大きいといえる。

アトムメディカルの製品分野。