パトカーが先導したアトム保育器

――この日、東京から2台の最新式保育器が届く。

 これまで市立病院には空いている保育器が3台しかなかったため、1台に2人を同居させるなどの措置をとらざるを得なかったが、これで全員”個室”に収容できる。――

 2月2日の外西医師の日記には、こう記されている。

パトカーが先導して緊急空輸された「V-75保育器」。
写真:アトムメディカル

 2台の最新式保育器とは、アトムメディカルが製作した「V-75保育器」を指す。同社の本社所在地は東京都文京区本郷だが、保育器は埼玉県の浦和
工場でつくられている。保育器は浦和工場から出荷され鹿児島市加治屋町の鹿児島市立病院まで、注文を受けてからわずか2日間で届けられた。当時の交通事情を考えると、驚くべき迅速な対応といえる。

 どのような手段を用いたのだろうか。

 全社を挙げての対応の陣頭指揮をとったアトムメディカルの松原一雄社長がとった方法は、やはり尋常なものではなかった。

「保育器を積んだトラックが埼玉県の浦和工場を埼玉県警のパトカーに先導されて出発し、東京都に入ったところで警視庁のパトカーが待機していて、パトカーが赤色灯をつけサイレンを鳴らしてトラックを先導して羽田空港まで全速力で突っ走り、緊急空輸して鹿児島まで運んだんです。協力を要請した警視庁からいわれました。国賓級の重要人物を空港まで無事にお送りするのが任務のパトカーが、保育器を先導するなんて、前代未聞の出来事だって」

 当時にあっては山下家の五つ子への注目度は、国民的関心事といった様相を呈していた。

 テレビは連日、保育器の中での五つ子の様子を詳細に報じ、新聞では日々の天気予報のように五つ子の体重変化が掲載された。次女が壊死性腸炎を起こして一時危険な状態になったときには、山下夫妻のもとには心配と激励の気持ちをつづった手紙が全国から多数寄せられた。

 もしも保育器の到着が遅れたために五つ子のからだに不具合が生じる事態となったら、非難の矛先は……と考えたら、保育器運搬の先導を要請された警視庁としては協力せざるをえなかったのだろう。「わが社の保育器がパトカーに先導される光景は、全社員の誇りでもありました」と松原社長は語る。

 しかし、それよりももっと嬉しかったことがあるという。

 それは、五つ子の誕生やパトカーでの先導を通じて、保育器というものの大切さへの理解が国民の間に広まり、保育器の普及につながる契機となったことだ。

新生児の死亡率(1000人出生に対する死亡割合)。
写真:アトムメディカル