自分の見たいものを実現するための頑張り

 本コラムの第1回でも少し触れましたが、COJTでは成果報告会のために制作する自由課題の作品について、制限がほとんどありません。つまり、やろうと思えば幾らでも困難な課題に取り組むことができます。逆に、手を抜こうと思えば、取り組む学習課題の数もできるだけ減らした上で学習課題を自由課題の作品として発表することも可能です。

 これはつまり、自由な発想で作品を作ってよいだけでなく、その作品を作るために頑張ることが全く強制されていないことを意味します。故に、その環境の中で自分の見たいものを実現するために頑張ったのなら、その過程がどんなに辛かったとしても、それは忙しく頑張ったというよりは、眠たさや疲れに勝るほどに作品を完成させたかったということではないでしょうか。

 こういったエピソードは、一般に「一生懸命頑張った、つらい期間に耐えた」として語られます。しかし、もしこの期間に「つらいなら諦めれば?」と声を掛けられたとすれば、きっと「いや、もう少しでできそうなんです! 邪魔しないでください!」という声が返ってきたのではないかと思えるような気がしました。

作品の良さを伝えることの難しさ

 COJTでは、作品を完成させることはもちろん重要なのですが、成果報告会においてその良さを伝えることも大切な要素となっています。

 作品を紹介する際の計画としては、システムが実現している複雑な処理をできるだけシンプルに見せたり、シンプルな構造で実現した中身をあえて隠すことであたかもものすごいことをやっているように見せたりと、さまざまなものが考えられます。しかし、その時の計画によっては、せっかくの作品の良さがうまく伝わらないこともあり、最悪の場合には成果を台無しにしてしまうこともあり得るのです。