光安 そうです。その後、カナダのトロントに留学したんです。これがすごくいい経験でした。いろいろな人種と知り合いになって、カルチャーショックを受けましてね。帰国してから、しばらく東京に住んでいました。いろいろと体験する中で、建築をやってみたいと思ったんです。それで資格を取るためには大学に行った方がいいということで、大検を受けて福岡の大学に入りました。

三反田 受験は何歳くらいのときですか?

光安 23歳でした。24歳で入学したら、中学生以来の夏休みがあって居心地がよくて、5年間大学に行ってしまいました(笑)。

リアル 29歳で卒業したわけですね。

光安 そうそう。実は、結構いろいろなものを作ることが好きだったりもするんです。クルマやバイクのパーツを造形したり。

三反田 見た目とは違って、意外と繊細で手先が器用なんですよね(笑)。

光安 慎一郎(みつやす・しんいちろう)。光酒造 代表取締役社長(写真:加藤 康)
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光安 小さいころは本当に飽きっぽい性格で、何をやっても長続きしなかったんですけど、大人になったら正反対になりました。すごくこだわって、追求する方向に。

リアル 福岡の大学に行ったということは、「いずれは家業を継ぐ」ということが前提としてあったんですか。

光安 全くなかったですね。当時は建築家になりたかったんで。大学を出てからしばらく営業・製造をして光酒造に入りました。入社して5年目か6年目くらいに父親に「明日から会社を任せる」と言われまして(笑)。実は、酒造系の蔵元は30代で社長を継ぐケースが多いみたいで。

三反田 こんな感じで話していますけど、光安さんはさっきも言ったように繊細なんですよ。毎朝5時に社長自ら酒蔵に行きます。

光安 まあ、まあ、それは…。

三反田 福生さんは札幌を拠点にスープカレーで成功しているわけですけど、そのあたりの話を聞かせてもらえますか。