至福の時間
墓について書こうと思う。それも世界を変えた物理学者たちの墓について。なぜ墓か。その話から、始めることにしよう。
大学で物理学を学び、卒業後も研究者として生きてきたぼくは、機会を見つけては科学を創造してきた物理学者たちのお墓を訪れてきた。ニュートン、ボルツマン、プランク、ドゥ・ブロイ、シュレーディンガー、ハイゼンベルク……。アインシュタインは遺言によって散骨という形を取ったので、お墓は存在しない。
ぼくにとって墓巡りのための旅行は、普段の観光旅行とは全く違う特別の旅となる。
まず事前に入念な下調べをする。だいたいヨーロッパの墓地はとてつもなく広い。墓地が森の中にあるドイツなどは、墓参りはすなわち森林散策となる。
たとえ墓地のどの辺りにあるのかを特定して行っても、必ずしもうまくたどり着けるとは限らない。墓地の管理人に尋ねても知らないことだってある。実際、ヴェルナー・ハイゼンベルク(Werner Heisenberg、1901~1976年)が眠るミュンヘンの森林墓地では管理人がハイゼンベルクの名前すら知らなくて茫然(ぼうぜん)とした。
お墓には基本的に一人で訪ねる。たどり着くまでは終始ワクワクしている。どんな場所にあるのだろう。どういうたたずまいをしているのか。きちんと手入れはされているのだろうか。
目当てのお墓を見つけたときには、パッと明かりがともったように心が踊る。
それからが至福の時間。遠くから眺め、近くから見つめる。墓石の周りをグルグル回って、さまざまな角度から調べる。墓石に刻まれた文言はもちろん、朽ち具合や植栽の手入れを確かめ、周囲の墓と見比べる。写真に収める。
そして自由に思いを巡らせる。