「東芝のメモリー事業は、なぜ生き残りなぜ好調なのか」と題し、同社が勝ち残り、現在も強くあり続けている要因を探求し、これからを考える知恵を抽出することを目的とするSCR大喜利。今回の回答者は、野村證券の和田木哲哉氏である。
野村證券 グローバル・リサーチ本部 エクイティ・リサーチ部 エレクトロニクス・チーム マネージング・ディレクター
【質問1の回答】人事を尽くしたから
こうした質問には、まずは東芝幹部の本音を聞くのが一番早いということで、かつて東芝の半導体部門を支え、今は別の企業で活躍されている方、要は東芝としがらみがなくお話をしていただける方、複数にお話を聞いた。
「偶然」「たまたま」「運が良かっただけ」との回答が100%であった(汗)。それでもめげずに、「他に何かあるでしょ?」と食い下がったら、さらに熱っぽく、いかにここまでの成功が運頼みだったのかを滔々(とうとう)と語られた。
ただ、これは、勝者だけに許される謙遜と、旧身内に対する厳しさに、愛情をブレンドして生成された照れ隠し的なコメントである。運が良かったというのは、陳腐な言い方ではあるが、「人事を尽くして天命を待った」結果、運が巡ってきた、そういう話であろうと解釈した。
最近の研究では、運、特に仕事における運は、偶然などではなく必然の要素が非常に強いことが判明している。努力した人間(企業)に天が微笑んだのであるが、努力していない人間には微笑まない。聖書の成句でも「常に目を覚まして使者が来るのを待っていなさい」(機会を逸しないように精進を怠るな、という趣旨)という言葉がある。機会が巡ってきたときに、それをモノにできるだけの実力を備えていたのが東芝だったのである。
運をつかみ取れた理由
具体的に何が良かったのかであるが、まずは、同社 半導体プロセス技術研究所所長などを務めた奥村勝弥氏の時代から連綿と積み重ね、2000年代前半の段階で、既に世界最高と言われていた半導体製造技術がある。高いインフラコスト、人件費というハンデを背負って東芝がメモリー戦争で戦い抜けたのは、ひとえに技術力が傑出していたからであった。
また、決して利己主義に走らず、装置メーカーの立場にも配慮した共同開発体制によって、利己主義に走った某日本のハイテクメーカー(複数)とは異なり、装置メーカーとの信頼関係が強固だったのも技術力の底上げに一役買ったであろう。
その後の経営者がNAND型フラッシュメモリーの可能性を信じ、思い切った投資を敢行したことで、90年代の日本企業のように「遅すぎた、少なすぎた」(Paul Carell風)というような状況にも陥らなかった。
また、小林英行氏の時代に構築したSanDisk社など有力企業との協業体制によって、投資負担が減少した。また、推定ではあるが、SanDisk社という理性的なパートナーを得たことで、東芝内での半導体事業にかかわる上の経営判断も、より適正なものになったのではないかと考える。かつて、台湾UMCがトレセンティテクノロジーズでその役割を果たしていたように。