承前

 私は2003年10月から2006年4月までの2年半、韓国Samsung Electronics社(以下、サムスン電子)とSamsung SDI社でモジュラーデザイン(MD)のコンサルティングをしてきた(第16回第17回第18回参照)。その間、サムスン電子の技術顧問就任要請を断って2004年4月から広島大学の教授になった(第15回参照)。以後、私の人生上の課題は、それまでに私が個人的に培ってきたMD方法論を受け継いで活動する組織と後継者を日本でつくることであった。

 初めは、広島大学で私が受け持った3~4人の研究室生に後継者の期待を懸けたが、私の所属は社会人対象の「広島大学大学院社会科学研究科マネジメント専攻」なので、集まってきた研究生は文系の人であり、私の後継者には成りがたかった。「文理不分離」という言葉がある。しかし、理工系の人が文系の知識を学ぶことはできるが、文系の人が理工系の知識を実践的レベルまで学ぶことは難しい。

 そこで、広く日本の中から活動組織や後継者を探すために、学外へと行動範囲を広げた。最初に、東京大学の藤本隆宏教授が主催する「ものづくり寄席」で講演させてもらうように働き掛け、2004年10月に実現した。これが、私の日本デビューである。

「ものづくり寄席」で講演する様子
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重工業メーカーでMD方法論を鍛える

 このものづくり寄席での講演を聴講していた重工業メーカー(以下、A社)の技術本部の人からコンサルティングのオファーがあり、2005年8月にターボ分子ポンプ、製紙機械、およびフォークリフトの3製品でMDコンサルティングを開始した。

 私は直接的にMDの活動組織/後継者づくりをしたかったが、よく考えればサムスン電子でのMDコンサルティングの実績があったとはいえ、日本ではまだ無名だったので、それは無理なことだった。そこで、MD方法論をいろいろな製品に適用してその効果を実証して鍛え上げ、日本で私とMD方法論の知名度を上げるためにしばらくはコンサルティングに力を注ぐことにした。