こうして、初めての自動患者測定の概要が固まった。それをブロック図で表現すると、図表1のようになる。ブロック図でわかるように、測定系は大きく三つのブロックに分けられる。

図表1
久保田さんたちが作成した世界初製品のブロック図。

 第1ブロックの心電図表示は、5.5インチのブラウン管を使うことにした。残光型と呼ばれる表示用ブラウン管で、電子が蛍光面に当たるとそのスポットが光るようになっていて、しかもその光が瞬時に消えないでゆっくりと消える。そのため、心電図のような波形を目で確認するのに役立つ。とはいえ、素早く読み取らないと消えてしまうので「火の玉方式」などとも呼ばれたが、いまのメモリー式に対比すれば、雲泥の差がある原始的な表示方法であった。

 第1ブロックの心拍数、第2、第3ブロックの呼吸数、体温の表示方法は、メータと呼ばれるアナログ表示器に表示した。この表示方法も現在ではほとんどデジタル表示になっていて、目にすることはむずかしい。

 開発上の難関の一つは、電気回路はようやく実用になりだしたトランジスタを利用しようとしたが、初期のトランジスタは入力する際の電気抵抗が低く大量の電流が流れ込み、心電図のような微弱な信号を測定するには向かず、心電図増幅回路の初段では使えないという欠点をかかえていた。やむなく、初段だけは真空管を使うという苦肉の策が講じられた。

 欠点の二つ目は、高電圧に耐えられなかったことである。そのため、ブラウン管を駆動させるための周辺回路にも真空管回路を使わざるをえなかった。 こうしてできあがった電気回路は、真空管とトランジスタのちゃんぽんという、その時代を象徴するような構成になった。

 回路技術では、呼吸数をカウントする方式が意外に難題であった。1分間に20回程度の波は、いわば極超低周波ともいうべきもので、こういう現象をまともに増幅するのが困難であった。発振回路の発振周波数や、回路の電圧が変動することの少ない直流増幅回路をつくらねばならなかった。さらに呼吸数の計数をどうするかに頭を悩ませた。心電図のR波を数える方式とは違い上下に大きく変動する波を、アナログ回路で処理するのは難題であった。

 こうした技術上のハードルを越えて、試作の開始から約1年後の1965年、試作機はその年の日本ME学会の展示会に出展される。

 出展するには、展示物に名前をつけなければならない。プロジェクトリーダーが「ベッドサイド・モニタ」はどうかと提案し、それが製品名となった。「この装置が完成したとき、まさか世界最初のモニタなどとは、夢想だにしなかった。ただ単に一台の製品を世に送り出した、と感じただけだ」

 久保田さんはこう語っているが、「ベッドサイド・モニタ」が広く注目された理由を端的にいえば、「新しい市場」をつくり出したからである。