「“拠り所”なき時代のエレクトロニクス業界を占う」をテーマとした今回のSCR大喜利。エレクトロニクス業界が技術や事業を考える上での暗黙の予定調和を図る“拠り所”としてのMooreの法則の意味について考えることを目的としている。今回の回答者は、慶應義塾大学の田口 眞男氏である。

田口 眞男(たぐち まさお)
慶應義塾大学 特任教授
田口 眞男(たぐち まさお)
1976年に富士通研究所に入社とともに半導体デバイスの研究に従事、特に新型DRAMセルの開発でフィン型のキャパシタ、改良トレンチ型セルの開発など業界で先駆的な役割を果した。1988年から富士通で先端DRAMの開発・設計に従事。高速入出力回路や電源回路などアナログ系の回路を手掛ける。DDR DRAMのインターフェース標準仕様であるSSTLの推進者であり、命名者でもある。2003年、富士通・AMDによる合弁会社FASL LLCのChief Scientistとなり米国開発チームを率いてReRAM(抵抗変化型メモリー)技術の開発に従事。2007年からSpansion Japan代表取締役社長、2009年には会社更生のため経営者管財人を拝受。エルピーダメモリ技術顧問を経て2011年10月より慶應義塾大学特任教授。

【質問1】技術開発の前提を決める拠り所としてのMooreの法則が機能しなくなった場合、最も大きなビジネスの変更を迫られる業種は何だと考えますか?
【回答】ファウンドリー

【質問2】Mooreの法則が機能しなくなった場合、エレクトロニクス業界における技術進化/業界勢力図/サプライチェーン/市場規模などのうち、最も大きな影響を受けるのはどのようなファクターだと考えますか?
【回答】業界勢力図

【質問3】エレクトロニクス業界でMooreの法則に代わる新たな予定調和の“拠り所”が生まれるとすると、どのような「指標」や「進化軸」に基づくものになると考えますか?
【回答】利益率とオピニオンリーダー

【質問1の回答】ファウンドリー

  Mooreの法則が有効でなくなる時が到来しつつある。だが、これで電子産業界にパニックが起るとは思っていない。デジタルな集積回路は、スケーラビリティすなわち微細化によって、スケーリング則に沿った進化とシステムの拡張ができた。このため一言で言えば、「微細化を進めることでコスト不変のまま世代交代によりシステム性能が向上して行く」という好ましい状態が続いただけである。産業全般で見れば例外的な成長パターンであり、たとえMooreの法則が有効でなくなっても、普通の産業と同じようになるだけである。また電子産業の中でもMooreの法則に関係しない成長分野もあり、まだまだ発展可能なのが電子産業である。

 今日のIT時代の立役者であり、今後ともIoTビジネスに不可欠な存在である半導体ファウンドリー、特に大手において、戦略的転換を迫られる可能性がある。大手はその支配力の源泉として先端テクノロジーをいち早く実用化、デファクト標準を広めてユーザーの便を図る戦略を駆使してきたように見える。だが、微細化・高集積化が顕著にスローダウンすれば、どの会社も横並びになってしまう。結果的にサービス業としての競争になる。

 半導体製造装置メーカーも同様な影響を受けるだろう。半導体メーカーの大型投資を支援して来たリース会社なども将来リスクを読みづらくなってしまい製造のエコシステムがまわりにくくなる。引いたロードマップ上を進むのではなく、ある日突然世界が動き出す。だからと言って製造関係が全方位展開で準備するのでは投資効率が悪い。

 ここでMooreの法則について改めて考えてみよう。これは電子産業が最大限努力をすると、技術はこの程度進歩をするという結果論的なデータに基づく法則だ。しかし、実は経済性まで含めた奥深いものであり、電子産業全体を律する見えざる調和率だった。集積回路の複雑度が3年で4倍(または2年で2倍)に増えるというのは、まさに万有引力の法則から生まれる重力加速度g=9.8 m/s2くらいの揺るぎない意味があった。実際、開発計画を立てる時、3年後の目標はこの法則をモノサシにして決めたのだから、各企業の開発動向の位相が自然に揃ってしまう。

 Mooreの法則を維持する役割を演じる役者は、厳密に言うとリソグラフィ技術(2次元の)とスケーリング則だけと考えている。昨今のNAND型フラッシュメモリーでは、Mooreの法則を守るために3次元構造を採用したなどと報道されることがある。しかし実は、これは厳密な意味での法則を守れなかった証左なのだ。なぜか。集積回路のスピリットとは個別にトランジスタなどの部品を接続するのではなく、写真製版工程(リソグラフィ)で一度に全てを作り上げてしまうことである。だから各部品を小型化(微細化)すれば、同一工程で同一面積に形成できる部品の数が寸法の2乗分の1に比例して増大する。その微細化に一定の法則(スケーリング則)を適用すれば、集積回路の動作速度が向上しつつ消費電力も減少する。結果として微細化すれば、集積回路のコストを一定に保ったままでも、システムの性能がどんどん向上していく。電子産業界でも特にIT関連はこの加速度の中にいた。これがMooreの世界だった。

 さらにノイマン型コンピューターが、Mooreの法則の価値を高める陰の立役者だった。演算と記憶を分離することで、それぞれを個別に発展させつつ、お互いMooreの法則を維持することで大きな性能ギャップを発生させずに済んだ。そして、ソフト開発でも、年々増大するコンピューティングパワーをあてにして、存分に大規模化できた。このようにエコシステムがうまく機能していたので、電子産業はフルパワーで発展できたのだ。だからMooreの世界が終わるというのは大変なことであり、悪影響が出ないように知恵を絞らなければならないのである。

図1 Mooreの法則はスケーリング性を筆頭にそれぞれの要素の調和で成り立っていた

 Mooreの法則が有効な世界と、有効ではない世界を絵にした(図1)。新しい価値を生み出す「着想」はどこででも起こるが、Moore大陸に入ると先の見通しを立てやすいため、投資家や金融機関から資金が得やすくなる。スケーリング則によってデジタルLSIはフルスピードで発展したが、微細化リソグラフィ技術がそれを可能にした。大きな資金がまわせるため大企業には有利だった。ここではロードマップを示すのが習わしであり、デベロッパーフォーラムによって関係する会社のベクトルを揃えていた。だがそんな発展が無限に続くわけがない。崖があるサインはあるがどこが崖だかはハッキリしない。

 一方、Mooreの法則とは関係ない世界では、スケーリングとは別のデバイスイノベーションもある。またIT関連では非ノイマン型の話が多々あり、アナログまで含めれば半導体全般にビジネスチャンスがある。3次元化した半導体構造は、実はMoore大陸ではなくこちらの世界に属している。リソグラフィという2次元パターンを一括形成する便利な手法がメインではないからである。その代わり、例えば3Dプリンタのような発想があり得る。

 ちなみに今日の段階で3次元ICと称するものは、全て2次元をスタックしたものである。このため、Z軸(縦)方向の集積性がX-Y軸方向に比べて著しく劣っている。最も本格3次元に近い積層型のNAND型フラッシュメモリー(BiCSタイプ)では、積層した各層へのコンタクトを一度で取るようにプロセスを工夫している。しかし、積層する数を48層、96層、192層と世代ごとに倍々に増やせるとは思えない。一方X-Y方向でトランジスタ数を増やすのは微細化さえできれば(これが壁に当たりつつあるのだが)寸法の2乗で有効である。だから積層は決して長期的にNAND型を大容量化させられる技術ではない。これに対し例えば3Dプリンタで縦横縦横無尽にトランジスタや配線が作れたら、やっと本当の3次元ICだといえる。まだまだ先は遠いが3Dプリンタはブレークスルーとなり得る資格ありということでリソグラフィに対応するポジションを与えている。

 ベンチャー企業はMooreの法則上の世界にもそうでない世界にも存在し得る。しかし、地図なく漂流する世界の方がむしろ適している。その発展スタイルは「この指とまれ」型であり、いまやベンチャーとは言えなくなったがApple社もGoogle社も商品の出し方は社内で極秘開発したものを突然出している。この辺がロードマップ上を走るMoore大陸の走者との違いである。

 話を最初に戻すが、着想によってビジネスチャンスはいくらでもある。しかし、問題は製造、特にこれまで電子産業をここまで盛り上げてくれたファウンドリーである。これまで微細化を進めることで、例えばCMOSでGHzレベルの高周波が扱えるといった新たなパフォーマンスが得られ、新たな需要を生んだ。今後は、GaN, SiC, Ge, CNT、グラフェン、ダイアモンド、高分子・・・と材料を変えることで、果たして需要を喚起できるのだろうか。