重久 そうですね。実は、私は中学校を卒業して、すぐに職人として丁稚見習いに入りました。そのときに、200年前の黒酢が残っていなかった。200年の歴史があるのに。売る、売らないは別として残してほしかったなと思います。

リアル では、重久さんは仕込みもできるんですね。

重久 ええ。仕込みの修行も数年やりました。そこを卒業するとき、お願いだから次の200年のためにお酢を残しておこうとお願いしました。売り物にはならないし、365日管理しなければならないし、在庫として税金しか掛からないのですけれど。

三反田 確かに、ビジネスの効率化という観点だけだとあり得ないですね。

福山酢醸造の甕畑。文政3年(1820年)ころから鹿児島福山町に伝わる醸造方法を守り、熟練された「黒酢職人」の手づくりの黒酢を守り続けてきた(写真:福山酢醸造)
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重久 小学生が工場見学に来ると、すごく感動してくれるんです。自分たちの代ではお金儲けにつながらないし、200年後に売り物になるかどうかも分からない。でも、残しておかなければならないと思うんです。

宇佐美 うちも職人が孫の代の子供たちに今作っている飴は、3代前から作っている蓄積があるからです。それを伝えていくことと同じなんでしょうね。

重久 そうですね。それと一緒です。

リアル ちなみに、200年たつとどんな味になるんですか。

重久 うーん。たぶんですね、お酢の味ではないと思います。時間とともに酸度を失っていくので。酸度が低くなると傷みやすくなります。だから、きちんと管理をしていかなければなりません。

三反田 それは、プロのアスリート以上に管理してるんでしょうね。ストイックに。「前日飲み過ぎた」なんて許されない。

一同(笑)

三反田 いやいや、ほんまですよ。