重久 在庫管理が大変なんです(笑)。会社がある鹿児島県福山町は、信号が一つしかないような田舎です。でも、だからこそおいしいお酢ができる。お酢は菌で発酵させますから、きれいな空気や土、風、四季がとても大切です。仕込みの時期には、納豆とかも食べられませんよ。春と秋は会社全体で納豆禁止。時代には全く合っていないですが、糀(こうじ)室には一般の人はもちろん入れないし、スタッフであっても女性はいまだに入れません。

三反田 女性の神様がいるというやつですか。

重久 そうです。女性が入るとやきもちを妬いて、発酵を止めてしまう。

重久 清隆(しげひさ・きよたか)
福山酢醸造 取締役 営業本部長。1995年4月に福山酢醸造入社後、2000年まで職人見習い。2000年6月に営業部へ配属。2007年4月、取締役営業本部長に就任。2014年4月に関連会社の福山酢販売の代表を兼任(写真:加藤 康)
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三反田 すごいこだわりですね。

重久 歴史があるだけに、神様と言われてしまうとなかなか踏み越えるわけにはいかないところもあります。

リアル 酢を醸造する職人は、派遣のような形なんですか。

重久 昔はそういうこともありましたが、今は会社のスタッフとして働いています。

リアル 夏や冬は違う仕事をしている。

重久 そうですね。お酢の管理もありますし。普通の食酢も製造しています。らっきょうやピクルスのような食品も手掛けていますので、らっきょうの皮を剥いたりもしています。でも、やはり職人さんなのでこだわりがすごいですよ。1トン入荷したらっきょうの一つひとつをチェックして。

三反田 職人さんの世界は、後継ぎとして若い人は入ってくるんですか。

重久 入ってきますよ。結構、競争率は高いですね。料理人と一緒で、同じ材料、同じ道具を使っても同じ味は作れない。場所も福山町でしか作れないんです。たぶん、菌が住み着いているんでしょう。隣町でも同じ味にはなりません。

三反田 そういう職人の世界という意味では、飴を作っている宇佐美さんのところもすごそうですね。

宇佐美 はい。大丸本舗は手作り飴の製造業として90年になります。名古屋駅からクルマで5分ほどの名古屋市西区にお菓子メーカーさんが集積している地域があるんです。初代の祖父がそこで創業しました。うちの前には1年中、千歳飴を作っている飴屋さんがあったり、周辺には砂糖などの原材料の卸売業者があったりという街全体がお菓子関連という場所です。

 祖父が商売を始めたころは、独立を目指す職人さんが住み込みで朝5時から夜11時まで働いていて。今で言えばブラック企業だったんでしょう(笑)。

三反田 そういう時代だったんですね。