久しぶりに大きな買い物をしました。部屋に置いてもさほど圧倒されなかったのは、これまでと比べてずいぶん薄くなったからかもしれません。ところが電源を入れた途端に愕然としました。ドーランと言うのでしょうか、男性の顔にもうっすらと塗られた跡が、はっきりとわかります。売り出し中の女優の肌は艶かしいまでの質感です。縁あって我が家にやってきた4Kテレビは、ここ数年買い求めた電子機器の中でも、最大級の驚きと感動をもたらしました。

 10年近く使ったリアプロのテレビが不調を来したのは何カ月も前です。「ランプを交換して下さい」の表示に、だましだまし使っていたら、時折色がくすむようになりました。放っておくと直っていたのは序の口で、色彩の「変調」と「復調」をランダムな周期で繰り返した挙句、とうとう行ったきり戻らなくなりました。量販店に向かった時の購入条件は、とにかく大画面。前機種の選択からも分かるように、お得さも大事な基準でしたが、気がつけば大枚をはたいていたのは、店頭での丁寧かつ巧みな応対のなせる技と言わざるを得ません。

 だとしても、満足度は想像以上でした。映像の生々しさが違うのです。先日スーパーコンピューターの取材で、気象のシミュレーションの精度を上げていくと、あるところでゲリラ豪雨の予測が可能になって天気予報の実用性が劇的に変わると聞きました。ひょっとしたら映像の世界では、見慣れた1080iの画面と4Kの画面の間に、リアルとバーチャルの分水嶺があったのではないか。

 ここまで画質に敏感になったのは、日本のテレビメーカーの行く末を気にかけていたからかもしれません。4Kテレビの絵作りで、恐らく日本企業は世界最高の水準にあるはずです。それにも関わらず、ここに来て日本企業のテレビ事業は一段と存在感を失いつつあります。1月末から2月頭に掛けて、テレビの海外生産や海外での販売から撤退するという報道が相次ぎました。熟練の技が生み出した画質が、世界市場から消えつつあるのだとしたら、なんとももったいない話です。

 そう思って改めて我が家のテレビを眺め直すと、当初の感動がずいぶん薄れていることに気づきました。あれほど鮮やかに見えた朝の番組の出演者の表情は、日常風景の一部と化して、特段注意を引きません。早くも4Kテレビはリビングルームの一角に座を占め、以前のテレビと変わらぬ見方・使い方をしているのです。

 もちろん、慣れもあるでしょう。加えて、こうとは考えられないでしょうか。4Kテレビの映像は実物と見まごう鮮やかさです。ところが、映し出されたものの大きさや立体感は、実在の物体から乖離しています。このギャップが、むしろ映像を偽物のように見せてしまうのではないか。

 実際、買い求めた当初、複数の人が登場する画面を見て、一瞬、おとぎの世界の小人が映っているのかと錯覚しました。リアルな人物がずいぶん小さく表示されていたからです。もしかすると、こうした錯誤を生まないように、脳が「これは実物ではなく、バーチャルな映像なんだ」とフィルターをかけているから、画面が以前と変わらなく見えるのでは。だとすると、画質をいくら高めても、テレビの映像は大して変わらなく見えるのかもしれません。

 ちょっと考えが先走りすぎました。それでも、この数週間の経験から、これだけは確かに言えます。テレビの画質をどんなに高めたとしても、筆者のような普通の消費者にとっては、感動は一瞬で過ぎ去ってしまうのだと。メーカー側にしてみれば、とんでもないわがままです。しかし、それを何とか満たさない限り、市場では生き残っていけません。日本企業のテレビ事業を再建するには、画質以外の競争軸を探した方がよさそうです。