国家プロジェクトでの失敗経験を生かす
「寺本」という名前は、随想の最初に記されている。それもそのはず、寺本和雄は、長期間を要したトレミキシン開発の起点に位置する人物だ。
滋賀医科大学との共同研究が始まる3年ほど前から、寺本は国家プロジェクトである「肝機能補助装置の開発」にかかわり、人工肝臓用吸着カラムの開発に取り組んでいた。
このプロジェクトは、ブタの肝臓を利用した人工肝臓をつくることが主題であった。ブタは病室に持ち込めないので、肝臓細胞をバラバラにしたものをカラムに充(じゅう)てんし、そこに患者血液を流し、分離膜を介して、肝細胞と接触させ、血液を浄化することをイメージしていた。
だが当時は、肝臓細胞の機能を保持したまま細胞を採取できるかどうかもわからず、採取した肝臓細胞を体外で培養できるかどうかも不明であった。そのままではプロジェクトが失敗に終わる危険性が大きかったため、安全策としてブタ人工肝臓+ビリルビン吸着カラムのハイブリット装置を開発することとなった。結局、ブタ由来人工肝臓は動物実験に使うまでは進展しなかったが、ビリルビン吸着カラムはイヌの実験を経て、試験臨床まで進んだ。肝性昏睡患者(かんせいこんすいかんじゃ)が対象となり、安全に施行できたが、救命にはいたらなかった。
このときつくられたカラムが実用化の段階まで到達できなかったのは、抗凝固剤(こうぎょうこざいで)あるヘパリンを大量に消費するためだ。いまならヘパリンの代わりにフサンを用いることができるが、当時フサンは認可されておらず使用できなかった。そのため東レ内でも実用化の動きは始まらなかった。
プロジェクトは失敗に終わったが、体外循環のノウハウや試作反応装置は残り、トレミキシンの製造に大いに役立つことになる。