瀬川 ただ、そういう大きな手のひらを持つ仏さんは、大きな企業にはいなくなってきていますよね。こういう仏さんを昔は親分肌と呼んでいた。「いいよいいよ。面白そうだから、俺んとこでやっときゃいい。経費とか予算とかは俺が何とかするから」と言ってやらせてくれる人。ほかの役員から何か言われても、「いいんだよ、あいつにやらせてるのは俺だから」っていうようなね。あまりごちゃこちゃ言わずに場をつくってくれる人がいたじゃないですか。

長岐 いたいた。

瀬川 そういう人が大会社にいたのよ、以前は。

長岐 今でもちょっといるけどね。

瀬川 ちょっといるけど、ほとんど絶滅危惧種だよ。 仏さんが。そういう意味で結構大きいね。

長岐 「金は出すけど口は出さない。責任は俺が取る」的な事業部長や役員。

瀬川 仏さんがいなくなった理由は、可視化だと思う。ミッションという名前の下に予算がすべて可視化されちゃって、経理担当の若手に全部見られてるわけ。20代の経理担当者から「この経費は何ですか」と50代の本部長がいじめられたりする。

長岐 研究開発部門と事業部を結ぶ全社横断的なプロジェクトが始まると、新しいプロジェクトをやりたい中心人物がその中継役になる。事業がうまくいけば、その人は次の事業部長になるわけですけど、以前はそこに新事業ファンドの決済者として、かなり自由な権限がありましたね。

瀬川 そう。まさにファンドの投資だよ。ところが可視化すると、すべてが経費の見方になってきますね。予算を立てるわけです。予算を立てるということはどういうことか。年度が始まる前に使う目的が明確なものだけを予算化することになる。

 でも、例えばベンチャーキャピタルのような数年間をかけるリスクマネーを扱うファンドで、ファンドを組み立てた当初に「この資金が何に使われるか」が決まってるはずがない。「あなたたちファンドマネジャーに任せますから」ということでしょう。それが投資ですよね。

 今、大手企業では先に分かっていることだけで経費の概要を想定して、予算化して、それを使いましたという形になりがちです。逆に言うと、予算化していないことに使う資金はないわけです。そうすると、もう新しいことはできなくなる。一度そうなると、前年度との比較で新しい年度の予算が決まる。既得権益のような形で継続するだけになると、さらに新しいことには手を出せなくなる。投資という感覚を持たない限りは、新しいことはできないよね。