このような社会の変化に伴い中学、高校、大学でも最近の学校は
「創造性を持った課題解決能力の教育をします」
「プレゼン力、コミュニケーション能力を育成します」
とアピールするところが目に付くようになりました。これは企業が欲しい学生像であったり、学生が就職活動でアピールする時の言葉でもあります。

 しかし、このような理念は理解できるものの、私も現場で学生に接する一人としては、高校や中学で課題解決能力の育成と言っても、絵に画いた餅のように感じるのです。残念ながら、「算数ができない大学生」などとも言われてしまうように、教育現場で起こっているのは、学生の基礎学力の低下です。

 基礎の学力ができていない学生に特殊な教育をすれば、課題を解決できるようになるでしょうか。語るべきコンテンツを持たない人が卓越なコミュニケーション能力を発揮してプレゼンできるのでしょうか。学生もかわいそうです。基礎の教育がおろそかのままで、「創造性を発揮して」「課題を解決し」「プレゼンしろ」と言われたら、デタラメを堂々と話す若者が量産されるのは必然です。

 今年はSTAP細胞や先の衆議院選挙での「小4なりすまし」で物議をかもした若者たちがトップレベルの大学にAO入試で入学したことが話題になりました。たったこれだけの例で断定的なことは言えませんが、「人物重視の入試」で大学に入ってきた学生には進学後に学力不足で躓く人がいることは、大学教員の多くの方が経験されていることと思います。

 いつの時代も若者は年長者から批判されますが、結局、問題なのは学生や若い人ではなく、そうした人を育成しているシステムなのです。率直に言って、現在の「課題解決力重視」の風潮は、アメリカのMBAのような教育を、間違ったやり方で日本に輸入しているというように感じます。

 私は30代でスタンフォード大学のMBAに留学する機会を得ました。スタンフォード大学のMBAが目指しているのは「General Management」という能力。営利、非営利のいずれの組織でも、集団を運営するにはマネジメント能力が必要です。人間の集団を率いるスキルは分野にかかわらず一般性のある(つぶしのきく)スキルであることから、単なる経営力(Management)ではなく「General」という言葉が入っています。