承前

 マツダにとって、1980年代末に打ち出した「5チャネル販売政策」の傷痕は深かった。経営革新のために1995年に取得したISO 9001も間に合わず、1996年に米Ford Motor社(以下、フォード)の傘下に入ることになった。はっきりいえば「潰れた」のであり、私が1986年に「このままではマツダは10年後に潰れる」と予言したことが“ドンピシャ”で現実になってしまった(第6回参照)。

 私はある意味で、マツダがフォードの傘下に入ることは歓迎だった。私はロジカル思考が強いと自負していたので、欧米人の思考形態に合うのではないかと期待したのである。しかし、その期待は見事に裏切られた。

西部劇のリンチがほうふつとする会議

 1996年、フォードがマツダの株式を33.4%取得して経営権を獲得した。これに伴って、1994年にフォードから顧問としてやって来ていたHenry Wallace(ヘンリー・ウォレス)氏が社長に就任した。さらに、マツダの副社長、経営企画、財務管理、R&D、原価企画、購買といった中枢のポストにフォード出身の役員が配置された。ウォレス氏は「青い目の日本企業社長」と珍しがられて、多くのメディアに引っ張り出された。彼がある週刊誌で語った内容を読んだら、日本のビジネスマン蔑視とも取れる内容に満ちており、嫌な予感がした。彼が日本のビジネスマンを知る機会は、マツダを通じてしかなかったはずだからだ。

 財務担当のGary Hexter(ゲーリー・ヘクスター)専務もマツダ社内に大きな波紋を起こした。ある商品開発会議において、ヘクスター専務と主査の間で以下のようなやり取りが交わされた(通訳を介した会話)。

主査「性能、機能、品質の仕上がり状態は、ほぼ目標通りです。コストが目標に対してあと○○%未達であり、これから挽回します」
ヘクスター専務「なぜコスト未達なのか?」
主査「コストリダクション案が十分に出ていないので」
ヘクスター専務「なぜコストリダクション案が出ていないのか?」
主査「設計とサプライヤーが十分に時間を取れないので」
ヘクスター専務「なぜ十分時間が取れないのか?」
主査「……」

 こういったやり取りが延々と続いた。しまいには、主査は答えようがなくなって赤くなったり青くなったりして額から汗が吹き出し、立っているのも困難になってしまった。私はこのやり取りを目前で見て「こりゃー、人間が違うぞ!」と思った。西部劇で、人の首にロープを巻いてつるし上げるリンチの場面がほうふつとした 。

 他の商品開発会議では、こんなやり取りもあった。

主査「性能、機能、品質の仕上がり状態は、ほぼ目標通りです。コストが目標に対してあと○○%未達であり、これから挽回します」
ヘクスター専務「なぜコスト未達なのか?」
主査「これこれこういうわけで」
ヘクスター専務「それはいいわけであって説明になっていない」
主査「コスト未達は量産までに解消しますから私に任せてください」
ヘクスター専務「私の質問に答えよ」
主査「だから私に任せてくださいと言っています」
ヘクスター専務「お前はここから出ていけ」

 衆目の前で恥をかかされた主査は憤然として席を蹴って出て行ったが、翌日の朝に主査の机は窓際に移されており、主査職も解任された。ある主査は、「自分は、マゾヒズムの趣味はないつもりだったが、メッタ切りされるあの会議に耐えられているので、案外あったのかもしれない」と自虐的に語った。ヘクスター専務がマツダの財務体質を改善した功績は疑いないが、社内ではこういったやり方が続いた。